強風が雑草を薙ぎ倒していくように、手鎌を草むらに振るっていく。草は、腕の力で刈り取られるのではなく、自然に折れるべきところでポキリと折れる。草刈り機のように根こそぎ綺麗に、とはいかないが、土台をしっかり残した草は、根を細かく分岐させ、伸びてくる茎を落ち着かせるようになる。俺たちはただ風となって、草の上を通りすぎていくだけだ。草はただ斃されながら、地上と地下に調和をもたらす。
神が創造した宇宙を思う。毎日のように世界は不調和に崩れるが、次の瞬間には調和が保たれる。地震や噴火の天災も、戦争や病気の人災も、歪みが生じては正されていく営みだ。神が創造した世界は調和を目指すと言えるが、同時にそれは不調和が宿命であるということである。
今日の困難。あらゆる不調和に対峙しながら、俺たちはただ風となって草を薙ぎ倒していく。疲弊疲労するような力業はもうよそうじゃないか。そんな不器用な真似を呈したこともそりゃあったが、腕の力に頼り切らずとも、風の力を借りて自然になぎ倒していけば、世界は自ずと調和に向かう。想像してもみたまえ。今の日本で、ほんとうに幸せに暮らしている人たちはどんな人だろう。俺には、毎日呼吸をするように畑仕事をしている、爺ちゃん婆ちゃんのような存在である気がする。無理をするでもなく、かといって怠けるでもなく、雑草と風と、天地と一つとなって、人間として労働を果たしている。俺たちはただ風となって、草の上を通りすぎていくだけだ。
2024.8.6
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