まただ。火の鳥は翻り、ゆらゆらと燃える山荘の彼方へ飛んでいく。
俺たちは少年の心を留めて、そいつを無邪気に追っかけるだけだ。
俺はほんとうに猟師になるのか。畑の野菜で生きるには十分。あえて肉を食らわずとも、命を繋いでいくことはできる。
心臓に刃を突き刺せば、獣の眼から光は消える。魂に業火を投げ入れ、道ずれにする慈愛はあるか。
ある者はこう話す。豚や牛など、家畜を食うは赦される。鹿や猪など、野生を殺すは罪に濡れる。なぜなら家畜は、食われるためにあるからだ。
馬鹿げている。「黒人は人間ではないから、奴隷として使役してもよい」と言う宿命論と、何ら変わらない。
夕暮れの幽居には、人知れない寂しさが訪れる。
毎晩耳にする獣の声はなんとも痛々しく、あれは生き別れた我が子をさがす、哀れな母に違いないと想像した。
そして俺もまた、お前と同じ森に棲む似たような存在だと思うと、不思議と寂しさも和らいだ。
罪のはじまりを辿らずとも、情はしかと訴える。同朋を殺すのが苦しいと。
俺たちはその悲しみから逃れるために、殺生を「罪」と呼んだ。
2024.7.26
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