信仰とは生活の中心で燃え盛る焔をいう。[759/1000]

生活の中心には太陽がある。朝陽を浴びて目が醒める。陽が当たって野菜は育たつ。陽がなければ小屋は暗く、洗濯物も乾かなければ、薪が湿って火も焚けぬ。森の生活は不便だ。梅雨に入ってから愉しみの一つである布団干しもできない。森で生活していると、菌も虫も植物も、あらゆる生命が太陽を中心に廻っていることを知る。太陽を中心に力を授かり、力によって世界の秩序を成立させている。

太陽なしで生命は存在できないが、科学と分業によって、現代生活の中心から太陽は締め出された。ボタンを押せば明かりが点る。店に行けば野菜は買える。自然の影響に左右されず生活は安定したが、太陽との関係は疎遠となった。

今日、生活に中心にあるものは何だ。信仰とは生活の中心で燃え盛る焔をいう。かつては、皆が同じものを信仰していた。だが今はバラバラだ。好きなものを生活の中心に据え、好き勝手に生きられる。そうして個人が幸福になれば良いとも言う。だが仮に、個人が全員幸福になれば、世界の望みは果たされるだろうか。

分からないから森に棲む。森は人間だけの家とはなりえない。虫がいて、動物がいて、植物がいる。その片隅に木材を組んで小屋を建てた。生活の中心には、清らかな存在が必要だと信じる。心の中心で生命をじりじりと燃やす、あまたの生命の心の拠り所となる存在が。毎年の如く、俺は太陽が待ち遠しい。

 

2024.7.17

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