情けない姿を子供に見せるな[756/1000]

今日、栄枯盛衰の甲州街道は、国道20号に取って代わられる。風情ある茶屋の町並みは次々に形を変え、人の住まない空き家も増えた。かつてお侍さんが大行列を作って賑わせたであろうこの甲州街道も、今ではこの辺りに住まう人間しか通ることはない。だが、寂びれて閑散としているわけでもない。のどかに広がる畑には、健康なトウモロコシや、陽光を十分に吸った向日葵が元気よく咲いている。道は細かまで人の手が行き届いており、温かい安心感がある。私はいつもここへやってくると、生活のための湧水を汲む。明治天皇が行幸した際に、御膳水として使われた、由緒ある湧水である。記念碑は、タワシで綺麗に掃除され、足元からはつめたくおいしい湧水が勢いよく溢れ出る。

 

水を汲んでの帰り道、車をはしらせていると、小学生くらいの女の子が道路を渡ろうとしていた。車をとめると、女の子は右手を挙げて横断歩道を渡り、こちらを振り向くと、足を揃えて深くお辞儀した。今時、こんな律義な子もいるのだと感心しながら、日本人を感じた。日本人の内向的で謙虚な気質は、悪い出方をすると、迎合的になったり、鬱になったり、みみっちくなったりする。大人になって、社会の汚いことを多く知ると、それが人間のすべてだと思うようになり、ついに人間が嫌いになる。だが、汚れを知らない子どもたちは、忘れ去られた美しい部分を思い出せてくれる。目上への礼儀、好きな子に見せる羞恥心、先生の教えを聞く真面目さは、どれをとっても堕落した大人に欠け落ちた無垢である。自分、自分と、情けない姿を見せて、子どもを幻滅させるほど残酷なことはない。それだけで強く、貴く、ただしい心持ちで生きようと思うには十分すぎる理由だろう。

 

2024.7.14

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