宇宙から見れば何歳になっても子供である[377/1000]

足軽は人をつくらないという。妻子をもちながら仕事の責務の重みをまっとうすることで、ほんらい男はできあがっていく。6月末で仕事をやめた私は、精神の解放を味わっているが、自由奔放に流れないように己を戒めたいと思う。幸か不幸か、森にお金のほとんどが消えてしまったから、目先を食っていくわずかな金しか残っていない。兵糧攻めにあっているような気分で、食えなくなるが先か、森に家が建つが先か、勝負をしているような気持ちであるから、結果的に尻に火がつくことになるであろう。

 

しかし、生き急いでやってれば、おもしろくなるものも、おもしろくならない。せっかくの念願を実行するわけだから、食えなくなることはひとまず考えず、ゆっくり大事にやっていこうと思っている。第一日目は雨模様であったので作業は行わなず、これまでの暮らしぶりと変わらず、朝から晩まで車で三国志を読んで過ごした。大業を為すために命懸けで戦っていた古人のことを思うと、私が為そうとしていることなど、たかが私事にすぎず、何も力む必要のないことである。そう分かると、自分のやろうとしていることが、つまらないことに思えるが、実際つまらない人間なのだからしょうがないと身の程を知るのである。しかしそんな私も、いつの日かこの場がだれかに必要とされ、文明に義をつき立てられる日が来るかもしれないと、夢のようなことも想像してみたりもする。どう転がっていくのか未来は分からぬが、小さくぶつかりつづけて、理想を理想のままに地上に展開していきたいと願うのである。

 

明日から天気がよくなるようだから、ついに開戦日となろう。そのために気合が入り、前日にもかかわらず、こうして翌日分を書いているのだ。段取りも何度も思い描くが、夢心地が勝るのか、ちっとも現実味がわかないのである。森のあちこちに倒れている木を片付けて、傾いている木や、密集しすぎている木をノコギリで伐っていく。20m級の木を伐るのは初めてで、下手をすれば死にかねないので、ここは匹夫の勇とならないように冷静にやる。それから、家を建てる箇所を整地をして、柱を立てる。木の太さも形もバラバラだろうから、設計図は書かず、臨機応変にやっていくつもりだ。めざすは方丈庵であり、精霊の森であり、ドワーフの小屋であり、隠者の洞窟である。ここは、私の技巧が試されるが、芸術の才のない私には、ここはいちばんの難関となるだろう。

ただ憧れのままに、無邪気にすすんでいくまでである。我々は宇宙戦士でありながら、宇宙から見たら何歳になっても子供みたいな存在である。そんな”宇宙チャイルド”として地上で遊んでいくのである。

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