言葉が行動を追い越したときの空虚感[181/1000]
陽が昇る前の朝は自分の呼吸に気づき、陽が世界を照らす日中は世界の呼吸を感じて、陽が沈めば再び自分の呼吸に帰ってくる。そうして常に呼吸と共にあるのが理想だろう。 「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するよう…
陽が昇る前の朝は自分の呼吸に気づき、陽が世界を照らす日中は世界の呼吸を感じて、陽が沈めば再び自分の呼吸に帰ってくる。そうして常に呼吸と共にあるのが理想だろう。 「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するよう…
黒澤明の「羅生門」の終盤で、ある男が放った言葉がずっと頭に残っている。「どいつもこいつも手前(てめえ)のことばかりだ。」そう言い放つ男は、羅生門に捨てられた赤ん坊を見つけると、赤ん坊をくるんだ着物を取ってしまい、持ち帰っ…
人の呼吸を感じるとき、その人間の命を感じる。 幸せも不幸も、喜びも悲しみも、満腹も飢えも、いつから誰かのものだと思い込んでいたのか。自分が消えるとき肉体が隔てる境界はなくなり、個の所有の概念はすべてなくなる。幸せも不幸も…
寒波に怯えている。自分を大事にしすぎているからだろう。 マイナス10度の野外を寝袋で生きていたことを思えば、雨風しのげる車の中でマイナス5度や6度くらい大したことないはずだ。温かさに触れるのは、白湯とご飯をいただく時くら…
聖典を読み込むことでそこに宿る魂を知ろうとするように、歴史に名を遺す人物がどんな息遣いで生きていたかを知ることは、法を身とする実際的な助けになる。純粋な魂を宿した人間の呼吸には、個性が加わるがその息遣いを辿って魂にぶつか…
かたちによってわたしを見、 声によってわたしを求めるものは、 まちがった努力にふけるもの、 かの人たちは、わたしを見ないのだ。 目ざめた人々は、法によって見られるべきだ。 もろもろの師たちは、法を身とするものだから。 そ…
昨夕、諏訪湖を眺めながら、傷ついた時とは違う、不仕合わせな苦しみを感じていた。 まるで亡霊のようだと思った。死ねなかったとき、自分は生きた亡霊となって、自己の内を永遠と彷徨いつづけ、自分を蝕みつづける。心を蝕み、身体を蝕…
「不仕合わせのときにくたぶるる者は益に立たざるなり」 今がそんな状態にある。不仕合わせで、自分が役に立たずで、くたびれている。自分が大事になり過ぎた結果、生まれたのは迎合と惨めさと恥だった。天に仕えることも、天に合わさる…
生きている実感に焦がれるが、本当はそんなものはない。あるのは生きている実感ではなく、生き返る実感だけ。生きる一点に留まることは不可能で、常に生と死を行ったり来たりしている。緊張と緩和を繰り返し、絶望と希望を得る。 生き返…
自分で自分を赦すことができない人間は、未熟であるかのように扱われるが、本当は自分で自分の罪を赦さない人間ほど、純粋なのだと思う。 自分で自分を赦すことができず、誰かに赦しを求めなければ、潰れてしまうのが人間の弱さでありな…