傷つくことはよくても恥をかかせることを魂は望まない。[174/1000]
「不仕合わせのときにくたぶるる者は益に立たざるなり」 今がそんな状態にある。不仕合わせで、自分が役に立たずで、くたびれている。自分が大事になり過ぎた結果、生まれたのは迎合と惨めさと恥だった。天に仕えることも、天に合わさる…
「不仕合わせのときにくたぶるる者は益に立たざるなり」 今がそんな状態にある。不仕合わせで、自分が役に立たずで、くたびれている。自分が大事になり過ぎた結果、生まれたのは迎合と惨めさと恥だった。天に仕えることも、天に合わさる…
生きている実感に焦がれるが、本当はそんなものはない。あるのは生きている実感ではなく、生き返る実感だけ。生きる一点に留まることは不可能で、常に生と死を行ったり来たりしている。緊張と緩和を繰り返し、絶望と希望を得る。 生き返…
自分で自分を赦すことができない人間は、未熟であるかのように扱われるが、本当は自分で自分の罪を赦さない人間ほど、純粋なのだと思う。 自分で自分を赦すことができず、誰かに赦しを求めなければ、潰れてしまうのが人間の弱さでありな…
「二つ二つの場にて早く死ぬ方に片付くばかりなり。」毎朝この言葉から1日が始まる。 世界はすっかり冬に染まり、明け方は氷点下になることも増えてきた。まだ外も暗い中、寝袋から抜け出すことにも勇気がいる。そんな時…
身体は疲れやすく、心は傷つきやすい。脆い器に生きている。丈夫な器が欲しいと何度も願った。丈夫なもののほうが優れていると教えられた。しかし魂の視点を持つときは、この脆ささえも愛おしくなる。もし絶対に割れることも壊れることも…
山の修行は過酷であるが、日常の中で修行を貫き通すことも等しく大変だ。 街の喧騒から離れ、汚れないように純粋を貫こうとするが、汚れの中でも純粋でいられることのほうがずっと難しいことだろう。 毎日瞑想をする私は…
幸せにとどまらず、不幸を迎えに行こう。不幸にとどまらず、幸せを迎えに行こう。幸せも不幸も自分のものではないのに、自分のものにしようとするからおかしくなるのだ。 波は自然にうねらせておけばいい。波がうねる分だけ、命は燃焼し…
善のフリをした悪というものは、この世に多く存在しているように思う。 (何が善で、何が悪かを論じられる人間ではないので、今日のところは昨日書いたように、自我の膨張作用を悪とし、法を身に纏う力を善としたい) 人間が生まれ持っ…
人間が生まれ持った自我の膨張作用を、性悪説のいわれとするとするなら、人間が法を身に纏う力を持って生まれたことこそ、性善説のいわれではないか。 悪とは自分を肥やすこと、自分のために生きることであり、善とは自分を律すること、…
私など価値のない存在だと思うことが、既に自惚れではないだろうか。 自分の宿命を見ようともせず、見える部分だけを比較する。本当は都合のいい自分の浅ましさを、恥じて戒めるべきではないのか。寄り添うよりも「自惚れるな」と一喝す…