食うこと食わぬことについて[503/1000]
精神にとっての屈辱は、宿主である肉体が食わねば生きられないことだ。つまり、精神が己の存在を肯定するために、己を否定せねばならぬ。 私には禁欲的な面があるが、肉体を蔑んでいるのではない。肉体が大事ではない、と…
精神にとっての屈辱は、宿主である肉体が食わねば生きられないことだ。つまり、精神が己の存在を肯定するために、己を否定せねばならぬ。 私には禁欲的な面があるが、肉体を蔑んでいるのではない。肉体が大事ではない、と…
涸渇感を愛す 奈落のどん底に突き落としてくれるものを愛す 己は人間のクズだと突き放してくれるものを愛す 天狗のように伸びた鼻をへし折ってくれるものを愛す ケチくさい自尊心をずたずたに引き裂いてくれるものを愛す  …
森に家をたてて、隠遁生活をはじめたのが10月頭だったと記憶する。まだ1ヵ月しか経っていないのに、その数倍もこの生活を続けているような気分だ。 朝から晩まで、とにかく読書をして、それ以外の時間は、ご飯をつくるか、こうして手…
空虚で単調な時間は、時間の経過が遅く、耐えるにも苦痛が伴うが、長期的に見れば、そうした単調な日々の経過は圧縮され、一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。一年の月日でさえも、一週間や一日として感じられてしまうこともあるのだ。 「生…
隠遁生活ならではの、奇妙な感覚がある。完全な隠遁生活をしていると、今がほんとうに令和であるという確信が揺らいでくる。つまり、今が、鎌倉時代とも、江戸時代とも思えてくる。自分と時代を結びつける「文明の生活」を失うと、不思議…
言葉を綴ることは、そう難しいことではない。流れる血が自ずと言葉になるのだから。 しかし、血が流れないときは、言葉を綴ることが途端にできなくなる。こういう日は、森に寝そべって天を仰ぐも、風に揺られる大木も、吹き落とされる葉…
母の日にカーネーションの花をおくったこともなければ、父の日にネクタイをプレゼントしたこともない。誕生におめでとうと伝えたこともなければ、初任給で旅行に見送ってやったこともない。 私の記憶にある最後の親孝行らしきものは、小…
私は感情の人間だ。恥ずかしながら、過去には、積もらせた怒りを爆発させ、人間関係を何度もぶち壊してきた。ゆえに、こう思うと怖ろしくてならない。もし私にまともな精神が宿れば、真っ先に破滅してしまうのではないかと。夜な夜な気が…
精神修養とは、己の海に飛び込むことである。息がつづかず、もう海面に顔を出してしまおうかと思うところを意志の力によって克服し、さらに深みへと潜っていくのである。そして、海底で溺れ死ぬことこそ、己が真に願うことである。 世間…
「私」と「己」は別物だ。 「私」は感情的であり、「己」は精神的だ。「己」は美の下に服従し、魂を宿す混沌だ。 「己」が「私」に命令を下し、「私」は「己」に服従する。 命令と服従を、束ねる意志こそ、人間が人間たる所以である。…