諏訪湖近くの公園で朝を迎えた。
昨日は、岐阜の中津川を離れ、長野の諏訪まで丸一日かけて移動した。
この2日間、家に泊めさせてもらった男性から、手作りの料理をたらふく食わせてもらった。
人に渡されたモノを食べると、涙腺が弱くなる。
「自分は生きてるんじゃなくて、生かされてるんだ」って、傲慢さが少し溶ける。
夜の9時にはテントを設置し、カエルの鳴き声が響く闇のなかで静かな時間を過ごした。
別れの後の「寂しさ」には、「儚さ」が混じり合う。
ボクはこの種の、余韻がたまらなく好きだ。
こうして人をめぐっていると、みな例外なく「今の自分」を必死で生きていることを知る。
その度に、「生きているのは自分だけじゃないんだ」って心強くなる。
過去には色んな自分がいる。
- いじめを受けていた自分
- パートナーとうまくいかなくなった自分
- 過ちを犯してしまった自分
- 誰かを傷つけ、傷つけられた自分
- 傲慢だった自分
最近思うのは、
過去にどんな自分がいようと、存在するのは「今の自分」だけであり、
「今の自分」こそが尊い自分なのだ、ということ。
よく「他人と比較するな。過去の自分と比較しろ」という。
違う、「今の自分は比較できない。比べられない類の存在なのだ」と思う。
必死に生きていない人なんていない。
昔と比べて、落ちぶれているように見えても、痛みを感じながら、ちゃんと前に進んでいる。
だから、昔の自分が嫌だとか、今の自分が嫌だとか言う必要なんてない。
今の自分を、堂々と生きようじゃないか。
1 昔の自分も今の自分も弱いと知る
昔の自分も今の自分も、一貫して「弱い」、
「強い」とうぬぼれた瞬間、生きづらくなる。
最近、ボクは自分を見て「弱くなったな」と感じることが多い。
かといって、「昔は強かったのか?」と言われると、それもまた違う。
考えを巡らせていたら、
「ああ、気づいていなかっただけで、自分はずっと『弱い存在』だったんだ」
と気づいた。
先の見えない未来が怖いし、一人が寂しいし、やる気が出なくて、怠けてしまうこともある。
けれど、これが人間として生きる以上、背負い続ける「弱さ」かもしれないと。
人が強くなったと思うのは錯覚であって、実は「すごく弱い」から、「ちょっぴり弱い」になっただけなんじゃないかと。
「昔の自分が強かった」と思えば、今の自分は劣等感に苛まれる
「今の自分は強い」と思えば、昔の自分に劣等感を抱えるようになる
「自分は強い」と傲慢であるかぎり、しがらみも抱え続ける。
「自分は弱い」と言うことは、決して恥ずかしいことじゃないんだ。
2 昔の自分と今の自分は、対等でいられているか
「昔の自分」と「今の自分」は対等でいられているか。
昔の自分は今の自分をどう思うか。
原付で移動をしながら、ふと思った。
今の自分は、昔の自分をあーだこーだ一方的に、好きに語るけれど、それはフェアじゃないよなって。
「昔の自分は今の自分をどう思っているのだろう」って。
先の記事にも書いたのだけれど、人は誰かと対等な関係を築くから輝き出すと思っている。
己を弱いと認められるから、初めて他人と手を取り合えるのだって。
これは、「昔の自分」に対しても同じだと思う。
昔の自分に対しても対等に接することが、美しい関係だろうって。
それで、「小学生の自分」「中学生の自分」「高校生の自分」に思いっきり語らせてみることにした。
今の定職に就かず旅をしている自分を見て、なんて言うか。
よくわからず、キャンキャン言っている小学生の自分。
「おもれぇじゃん」っていう中学生の自分。
「ざまぁーねぇな(笑)」と鼻で笑う高校生の自分。
なんだか嬉しかった。
昔の自分の声を聴くことは正直怖かった。「仕事しろ!」と言われるような気がしていた。
けれど、これで何か隠し事が消えて、堂々と生きられるような気がする。
「お前ら見とけよ!」と昔の自分のためにも生きられるような気がする。
昔の自分と今の自分は、見下すような上下関係にあるのではなくて、身近に支えあえる対等な関係だ。
昔の自分と今の自分、色んな葛藤もあるけれど、葛藤を味わいながら生きたいと願う。
3 昔の自分と今の自分は違うから、違う自分として生きればいい
昔の自分と今の自分は矛盾する。
だから堂々と矛盾して生きる
ボクは大学時代にゼミをバックレたことがあるんだけれど、それが原因で疎遠になっていた先輩に、メッセージを送ってみた。
そしたら、こんな返事が返ってきた。
「私もあのときは、まだ子供だったなと思うこともあるんだよ。」
ボクは「昔の自分を未熟だ」と感じることが多々あったのだけれど、自分だけじゃないんだって知れた。
こうして、読んでくれている貴方も、そう感じることがあると思う。
人は生きているかぎり変化する。
変化する度に、「昔の自分」との矛盾も生じる。
「あのとき、あんなことを言ってしまったから…あのとき、あんなことをしてしまったから…」
と自分を一貫させようとするよりも、思いっきり矛盾して生きればいいと思う。
その方が、「昔の自分」も「今の自分」も喜んでくれるんじゃないかって。
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