孤独な人間は犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。[105/1000]

笠置山、山ごもり5日目。

朝からとても悲しい。悲しいことがあったのではなく、心が悲しみを作り出し、思い出している。取り越し苦労は厳禁として、気を起こさないように心がけても、心の癖は意志1つで簡単になおるものではない。

 

昨日から心の毒出しが始まったようで、弱い自分が続々と出てくる。人間は息を吸いながら吐くことができないように、吸収と排泄は同時に行えない。だから断食をして、身体に取り入れることに使っていた力を、身体から出すことに使う。

それは心も同じで、欲望のままに何かを吸収することを絶つと、心は排泄に向かう。心に染みついた癖の裏には、その癖を用いることで、ごまかしていた弱い自分が必ずいる。そのために山ごもりをして、孤独になる。内に溜まった弱い自分を外に出す。

 

「どんな自分が出てきても、反応することなかれ。飲まれることなかれ。」

この精神で、いつものように一本歯の下駄を履いて、展望台に向かう。急ぐこともなく、立ち止まることもなく、一定のスピードで歩く。これは昭和初期の登山家、加藤文太郎が、山を登っていたときの心構えの1つ。

おもしろいことに、同じスピードで止まらないように歩くことを心掛けていても、悲しみに飲まれると、つい立ち止まってしまう。再び歩き出しても、また悲しみに飲まれると、立ち止まってしまう。「ああ、そういうことか」と、この歩き方の真髄がなんとなく分かった気がした。

感情に飲まれると、同じ速さを保てなくなり、急いだり、止まったりする。この歩き方は、瞑想そのものなのだ。

 

精神修養 #14 (2h/38h)

・心の第一層(食欲)が剥がれ落ちたからか、集中力が一段階上がったようで、自分と思考の境界線が一層明確になった

・第一関門を突破したようで、あれほど美味いものを食べたくて苦しかったのに、今は食への渇望は大分薄れ、すっきりしている

・人によって心の表面にあるものは様々で日々反応するように生きている(瞑想合宿で知り合った男は、最初の2,3日は、女への気を起こして苦しんだという)

・いつもどおり反応すれば、いつまでも同じ反応の中を、繰り返し生きることになる

・福岡で発熱して長いこと室内に留まった時、自然欲しさにさらに体調を崩したことがあったが、あれはある意味、「自然への執着」といえるのだろうか

 

夕の瞑想。日中に起きた出来事のうち、心を大きく揺さぶったもの(傷つけたもの)の痛みが、右胸の内側に残っていた。それをしばらく観察する。

外側から見れば、ズキズキするこの痛みも、内側から感覚を汲み取ってみれば、線上に熱を帯びて、ドクドクと小さく鼓動を打っているのがみとめられた。

 

人間の身体は考えれば考えるほど不思議だ。「心が傷ついた」というが、実際に身体に痛みを伴う感覚として残る。それは胃であったり心臓であったり背中だったり、身体の内側の深い部分に、外傷を負った時と同じように、痛みを伴う感覚として知覚できる。

外から手を加えていないのに、言葉1つで、身体の内側に痛みが生じるって不思議だ。外傷みたいに絆創膏を張ることもできないから、どう対処すればいいのか分からなくて、別の大きな感覚でごまかそうとするけど、一番の処方は内側の痛みにも絆創膏を張ることだ。そのために、傷はどこにあるのか、内側の痛みに目を向けて、感じなければならないのだろう。

 

岩波文庫「ブッタのことば」を繰り返し読んでいる。私がブッタの教えに影響を受けるのは、「孤独」と「実践」の教えだからだろう。

楽になりたくて、散々誤魔化して生きてきた。しかし、誤魔化して生きても、誤魔化さずに生きている人間への羨望しか生まれなかった。

 

耳障りのいい言葉で目先の気分を誤魔化すことは楽だ。しかし、他人は騙せても自分は騙せないというように、心は必ず嘘を見破る。

現実をただ観よ、サイの角のようにただ独り歩め。孤独を生きた人間の言葉は静寂で力強い。孤独で潰されそうになっても、お前は間違っていないと、勇気を与えてくれる。

四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 

もしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる危難うち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

 

しかしもしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

 

寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

 

貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、 (見せかけ で)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

 

音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

 

歯強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

中村 元. ブッダのことば-スッタニパータ (岩波文庫)

 

山ごもりは続く。

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