いよいよ森を購入した。②[316/1000]

直前まで森を買うか葛藤していた。この森はあまりに幸せすぎた。私のようなむしけらには、たどり着くことも困難を極めるような、荒々しい広大な山を開拓しながら、秘境みたいな自然の中で野性的に生きる方がお似合いだったのではないか。そんなことを思ったのだ。

 

二者択一をせまられたとき、「二つ二つのうち、早く死ぬ方に片付くばかりなり」という葉隠の言葉と何度も向き合った。早く死ぬのは後者だ。安心や安全がないのも後者だ。保障がないのも後者だ。圏外なのも後者だ。仕事ができなくなるのも後者だ。誰にも見られず、誰にも知られないのが後者だ。文明の生活をぶち壊すのも後者だ。往来困難なのも後者だ。つまらない人生となるのも後者だ。なにもかもいっさいの得をしないのが後者だ。人生を台無しにするのが後者だ。

 

葉隠を実践するならば、まちがいなく後者を選ばなければいけなかった。保障のない野生で魂を荒ぶらせて、死んでいかなければならなかった。しかし、私は生きるほうを選んでしまった。葉隠の魂を絶対の地位から引きずりおろし、見苦しくも損得勘定を働かせて、得をした。

罪悪を感じるのは、この点である。魂の救済と現世の幸せが天秤にかけられ、現世の幸せを選んだ点である。死に飛び込むより、生にしがみついた点である。ここに信仰の弱さに罪を感じ、堕ちるところまで堕ちれなかった自分に弱さを感じている。

 

しかし、ふたたび同じ決断をせまられたとしても、私はこの森を買うことになったと思う。堕ちきれる強さをもたない。そして、20代の半分を家なしで過ごすことになった宿命と、そのとき抱いた森にすむことの憧れにケリをつけられるのが、この森である気もする。

恥じる結果になると分かっていた。善悪の罪にさいなまれることも分かっていた。神の服従を失い、自由を得た人間が必ず被るものだから。どちらを選んでも、矛盾する人間には後悔の念がつきまとう。

堕ちるところまで堕ちきれなかった己の弱さと、不信仰の罪の意識にさいなまれながら、この結果を宿命として、運命の愛として受け入れさせてはもらえないだろうか。

救いきれなかった魂は、しばし待て。いつか、きっと。まずは、この森にある宇宙の心に、仕えたいと思うのだ。

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