岩手県久慈市にいる。青森南部もそうだったけど、朝6時になると、市内放送でチャイムがなる。日曜でもおかまいなしだ。
久慈はそれだけじゃない。朝7時になると、朝ドラ「あまちゃん」のテーマソングが市内放送で流れる。これには、流石にビビった。
どうやら調べてみると、久慈はあまちゃんのロケ地らしい。ロケ地にだったからといって、朝7時に市内放送でテーマソングを流す理由にはならない気もするけど・・・(笑)
働いているお父さんなんかは、もう少し静かに眠りたい人もいるんじゃないかな。
けど不思議と、嫌な感じはしない。
私は起きるのが遅くなると、朝の大切な時間を失ってしまった気持ちになって、自分をよく責めてしまうことがある。
そんなこともあり、あまちゃんソングを聞いたとき、誰も置いていかない!みたいな意気込みのようなものを感じた。
「気持ちのいい朝がきたよ!ほら起きなさい!」みたいな空気が町全体にある。
多少、スパルタかもしれないけど、「うるせえ」という声を恐れず、こうして健康をけん引しようとする姿勢はなかなか好きだ!
なんとも親心いっぱいの町だなと、愉快になった。
さて、3か月近く、こうして車で旅をしてきたけど、ついに人に会う予定がなくなって、目的地がなくなってしまった。
9月末の母の誕生日に向けて、実家の岐阜に帰る予定だけど、それまではノープラン。
のんびり釣りでもしようか、と思ったけど、今は米と野菜が中心になっていて、身体が魚を食べなくてもいいと言っている。
観光には興味がなく、山でも登ろうかと思ったけど、これも面白みにかける気もする。
昨日、色々考えてたら、インド行きの航空券を調べている自分がいた。インドに行きたい。3万2千円あれば、ムンバイまで行けてしまう。
ただ9月末には、岐阜にいたいことを考えると、今からインドに行くのは、少し急ぎ足になるような気もする。
タイに行ってパッタイを食べてくるくらいだったら、できるかもしれないと思い、バンコクまでの航空券を調べると、3万円くらいだった。
タイとインドでは、結構距離があるものの、2千円しか違わない。てっきりタイには、この半額くらいで行けると思っていたので、これは高く感じた。
しかし、今自分がやろうとしていることを改めて考えると、本当にすごい時代に生きてるなと思う。
3万円払えば、明日にでも、タイはバンコクや、インドはムンバイまで行けてしまうのだ。ベトナムのハノイだったら、1万5千円で行ける。社会人なら、飲み会4,5回分で、ベトナムまで行けてしまうのだ。
もうどうしようもなくなったら、海外逃亡してしまえ!みたいなことをよく考えるけど、これは割と、いいんじゃないかなと思う。
現実逃避と、逃げは違う。現実逃避は、現実を何も変えないが、逃げは現実から離れて、現実を大きく変えるきっかけとなる。
もう今いる場所でどうしようもなくなったら、とりあえず3万円でタイ行きの航空券買って、リュックに着替え1セットだけ詰めて、海外逃亡するのもいいかもしれない。
500円でドミトリーに1泊できる。食事も安い屋台だったら、1食100円から200円くらいで済ませられる。たぶんインドは、もっと安い。それ以外に少しお金を使っても、1日1000円あれば生きていける。1ヵ月の海外逃亡にかかる費用は、航空券3万×2と生活費3万の、計9万円だ。
街に住む人なら、1月の生活費と同じくらいだろうか。
東南アジアは活気があっていいぞ!
ボロボロの屋台でおばちゃんが作った、熱々のパッタイとか、激辛のトムヤンクン食べてたら、嫌でも元気になる。
現代人に欠けているのは、リヴ(live)感だと思う。
明日のことは明日の自分に任せればいいし、明後日のことは明後日の自分に任せればいい。
1週間後の不安を始めれば、この1週間は不安に満ちたものになるが、これを10年や20年という大きなスパンでやってしまう人は意外と多い。
ライフなんてものは幻想で、人生はレールに例えられるが、レールなんてものも本当は存在しない。
あるのは今のみ。ここにあるリヴ(live)のみ。明日ことは明日の自分に任せる。10秒後のことも10秒後の自分に任せる。
任せられたとき、ライフはリヴになる。人生を生きるんじゃなくて、今日を生きるんだ。
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