動きたくても動けない。身体がいうことをきかない。
引きこもりだった頃の私はずっと無理やり私の手を取って、自然に連れ出してくれるようなヒーローを欲していた。
「外に行きたくなったら、いつでも言え。俺がお前の手を引っ張って大きな自然に連れ出してやる。」
そんな言葉に出会いたかった。— とむ(森の中に家を建てることが夢) (@tomtombread) July 14, 2022
新潟、柿崎の西にある名立にいる。
天気がどんよりしている。こんな日は、引きこもってのんびりと過ごしたいなぁと思いながらも、散歩をしていると、釣りをしているお兄さんを見つけた。
昨日はまともに食事をしておらず、腹が減ったと思っていたところだったので、釣りで朝飯を調達することにした。
キス釣りは柿崎で出会った師匠に教えてもらったことがあったが、豆アジのサビキは初めてだった。お兄さんに話しかけて、仕掛けやおもりを竿につける順番や、釣り方を教えてもらった。
サビキ釣りはとてもシンプルだった。コマセというミンチ状のエサをかごに詰めて、仕掛けと一緒に海に垂らす。豆アジが、かごからこぼれるエサと間違えて針に食らいつけば、魚はかかる。テクニックよりも、いれば釣れるし、いなければ釣れない。
私は2匹の豆アジを釣った。傍から見れば、結果は悲惨といっていいだろう。お兄さんの話だと、50匹近く釣れることもあるらしい。しかし、朝飯として腹を満たすには、十分すぎるほどだった。まだ息のある豆アジをさばき、内臓を取り出した後、塩を軽くふってオリーブオイルで揚げた。
味は言うまでもなく最高で、朝から贅沢過ぎる食事となった。豆アジの命をいただいて、今日を生きさせてもらう。
昨日、柿崎の海のとむの家に、来訪してくださったMさんから素敵なお手紙を頂いた。
「感動した出来事は何か?」というテーマでお互いの感じたことを共有すると、私もMさんも、真夜中に嵐の中で叫び合ったことを挙げた。
Mさんが砂浜で寝たいというので、私は彼の素直な気持ちを感じて嬉しくなり、誰もいない砂浜に、夜空を見上げる形で横になった。雲が広がっていて、星空は見えなかったが、視界のほぼすべてが何物にも遮られることなく開けているのは気持ちが良いとMさんは言った。私も、大きな砂浜に大の地になって広々と寝られるのはとても贅沢だと感じた。
砂浜で寝ていると、深夜に嵐に襲われた。あまりの豪雨に、これはやばいということで、ずぶ濡れになりながら、各々でテントを建ててそこに避難した。これで何とか雨はしのげると思いきや、横風でテントが持ち上げられそうになり、飛ばされないように、横たえた身体で抑えることに必死だった。
時々、雷鳴が轟き、ピカピカとテントの外が光った。テントに浸水して、水たまりの上で寝ているようだったが、テントポールに雷が落ちないか怖くなって、そんなことはどうでもよくなっていた。私とMさんは、「これ以上はやばい」と判断し、ずぶ濡れになりながら、豪雨の中テントを撤収し、各々の車で朝を待った。
一晩明けて、昨晩の死に物狂いの出来事を振り返ると、色んなことがとても可笑しな茶番に思えて、2人で笑いがとまらなくなったのだった。
各々のテントに分かれた時、お互いの様子が見えなくなって、孤独の中で嵐と戦っているような感覚になった。テントに豪雨が叩きつけ、暴風と、雷鳴と、身体がずぶ濡れで、もうすべてがぐちゃぐちゃで、何がなんだかよく分からない滅茶苦茶な状態だった。
Mさんはそんな中、「助けてー!!!」と心の叫びを剥き出しにしたことが、印象に残っていると翌日語った。一方私は、「Mさーん!!!生きてますかー--!!!」「生きてますー--!!!」と叫び交わした瞬間が、命を剥き出しにした最高潮だった。
「どんな悩み抱えてても、あの状況だったらすべて忘れちゃいますね」と翌日語った。
「訪客をこんな危険な目にあわすなんて、俺は人を迎え入れる立場として失格だ」と自分を責めていたが、結果的に振り返れば、意図しない形ではあったが、こういった自然の厳しさを体験できることも、とむの家の醍醐味なのかもしれないと思い直した。
人にはぐちゃぐちゃになりたいみたいな欲求がある。
私は引きこもり鬱のとき、心の動きが止まってしまいそうで、もう隕石が落ちて世界が滅茶苦茶にならないと、俺は元には戻れないだろうななんて思ったりしていた。世界が壊れることよりも、自分が無くなってしまうことのほうがずっと怖かった。
もちろん、隕石なんて落ちなかった。でも動く力もなくて、隕石が落ちるのを待つしかなかった。それでも隕石は落ちなかった。そのうち、いつ壊れるか分からない世界を待っているうちに、自分が先に無くなってしまうと思った。
もし当時の私が、これを読んでいて、「隕石は落ちないから、自分で動くしかないんだよ」なんて言われたら、きっと苦しいだろうなと思った。動きたくても動けない。身体がいうことをきかないような状態だった。
どんな言葉だったら、当時の私を救えるだろう。
当時の私はずっと、無理やり私の手を取って、自然に連れ出してくれるヒーローのような誰かを欲していた。強引にでも海とか山に連れ出してほしかった。
「外に行きたくなったら、いつでも言え。俺がお前の手を引っ張って大きな自然に連れ出してやる。」
そんな言葉に出会えたら、当時の私は救われたかもしれない。
身体の調子を崩し、外に出られなくなって、外に出たくても、自分の身体が言うことを聞かない。自然に飛び出したくても、一人で飛び出すことができない。もし、今これを読んでいるあなたが、そんな風にどうしようもなくなっているなら、こう伝えたい。
外に行きたくなったら、いつでも言え。俺がお前の手を引っ張って大きな自然に連れ出してやる。
海はいいぞ!泳ぐと気持ちがすっきりする。山もいいぞ!高い所はひんやりとして気持ちがいいんだ。
人がたくさんいると、一気に微妙になるけど!(泣)でも、日の出と日の入の時間は、人が少なくて、とても気持ちがいいんだ!
引きこもりたいときは、好きなだけ引きこもればいい。焦る必要なんて一切ない。
外に行きたくなったら、その時に外に行けばいい。いつでもいい。行きたいときに行けばいい。
その手段は、ちゃんとあるよ!
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