惨めにする言葉を退けて、天の積極的な声だけを信じる②[363/1000]

吉永小百合さん主演映画「いつでも夢を」に、こんな詩が登場する。

 

春先の花々の芽が深い寝息のなかに生まれるように

ぼくたちの歓びは日々の厳しさのなかに鍛えられる。

ぼくたちは今日も歌おう。

ぼくたちの冬、この国の冬を突き破る歌を。

 

自分より苦労している人は、ずっと多いと思う。寂しい思いをしている人も、苦しい思いをしている人も、ずっとずっと多いと思う。でも、私たちはそんな苦しむ人たちと手を取り合って、いつでも励まし合えるわけではない。そんな瞬間もたまにはあるけれど、ほんとうにたまのたまにで、大半はひとりぼっちで苦しんで、寂しい思いに歯を食いしばってたえている。

もし自分が神様で、空の上から孤独に苦しむすべての人を見つめられるとしたら、自分の苦しみと人類の苦しみは一つになるだろう。自分の痛みに悲痛をあげることなくなって、人類に憐れみを抱く。キリストが行うことも、そういうことではないか。沈黙しているようで、実はずっと一緒に苦しんでいる。

 

最近「俺は宇宙戦士だ」と思うようにしている。私は長年、無智のために、心を粗末に扱ってきた。苦しい思いをするときは、きまって言葉が汚れ、心も汚してしまっている。そんな自分を戒め、自分が何者かを思い出し、天の言葉に耳を傾ける自覚を促すために、「宇宙戦士」であることを繰り返し思い出す。

武士は主に忠誠を誓った。騎士は婦人に命に代えて守ることを誓った。戦士にはいつも仕える存在がいた。宇宙戦士は、宇宙に仕える。宇宙に忠誠を誓い、宇宙の言葉を第一に、宇宙から遣わされた使命をまっとうする。

これは、私なりの一つの答えである。私は、坂口安吾の「堕落論」のとおり、堕落し、ろくに働かず、家も持たないような、つまらない生き方をしてきた。しかし、社会から弾かれて初めて自覚したのは、自己の生命の形と、人間の神と繋がろうとする心だった。ここに自己の”武士道”を編み出す道が広がろうとしている。

ほんとうに、思い出さなければいけない。歴史をたどり、偉人の魂をたどり、我々はどこからきて、我々は何者で、我々はどこへ行くのかを。そうすれば、自分を惨めにするような言葉はおのずと減って、自分を最上の運命に導く言葉に従えるようになる。そう私は信じる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です