惨めにする言葉を退けて、天の積極的な声だけを信じる[362/1000]

昨日、「人間は、勇敢な戦士だ。」と言ったが、湖畔沿いを歩き、夕焼けに染まろうとする空を眺めていると、どちらかというと『宇宙戦士』のほうがしっくりくるなと思った。人間は、宇宙からやってきた戦士だ。「宇宙ウォーリアー」でもいい。あの宇宙の愛や義といった人間だけに与えられた崇高な力をハートを満たして、現世を戦い抜きたいと願うのである。

何度も私が言うのは、自分をみじめにするようなあらゆる言葉には、耳を傾ける必要などなく、本当に積極的な声にだけ従うことである。どうしても、消極的な言葉に負けそうになるときは、外を歩いて気分を良くすることだ。大地を踏みしめる度に、毒は地中に還っていき、地球に生きる自覚というものが空から降り注ぐのを感じるだろう。

 

私は薬をいっさい飲まない。引きこもり鬱のときも薬は飲まなかった。その代わり、自分なりのクスリを欲してきた。例えば、気分の優れないとき、精神科に通えば、精神を安定させる薬が処方されるかもしれない。しかし、これはあくまで西洋医学の見地から生まれた、科学に限定された処方に過ぎない。クスリというものを、カプセルや粉末ではなく、概念として大きく捉えるなら、歩くことも、音楽を聴くことも、スマホを手放すことも、掃除をすることも、野菜を育てることも、断食をすることも、ぜんぶクスリとなりうる。むしろ実際、そうしたクスリの方がよっぽど効果があるんじゃないかと、私は信じているのだ。いくら精神を安定させる薬を飲んでも、1日中スマホを眺めていたら、気分は良くならない。血液をサラサラにする薬を飲んでいても、1日中座ってテレビを観ていたら、病気がよくなるはずがない。科学では証明しきれない神秘がまだこの宇宙にあるのだから、宇宙全体のなかからクスリを抽出する努力は全人類の前提だと思うのだ。

これをしたら元気になるものを自分なりにストックしていく。多かれ少なかれ、既にしている人もいるだろう。私は気分が最悪でも、湖畔に沿いながらひたすら歩いているとすべてが解決することを知った。実を言えば、つい先ほども気分が最悪だったが、歩くうちにみるみる気分が良くなって、いい考えばかりが天から降ってくる。まるで歩くことそのものが、クスリを処方しているようだと感じたのが今日これを書く理由である。

 

労働や仕事も、最高のクスリだと思っている。このクスリは、人生の虚しさに対して効果てきめんだ。ガンジーは「幸福とは労働と仕事に対する誇りである」と言った。この言葉を母に教えると、気に入ったのか、ガンジーを引用して私に連絡をよこすようになった。さすがガンジーである。

しかし厄介なのは、労働というクスリは毒性が強く、かなり苦しい。毒に耐え切れずやられてしまうこともしばしば起こる。毒を制した人間は、ガンジーの言うように、誇りと幸福を得るのだが、毒にやられてしまえばかえって惨めとなり、不幸になることだってある。だからこの塩梅は難しい。難しいがさっさと毒を処理できる力をつけたいと願う。そのための宇宙戦士である。惨めにする言葉を退け、天の積極的な声だけを信じるのである。

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