日本人の幸せのベースは家族、欧米は教会。[344/1000]

日本人の幸せは家族がベースにあると思う。

天皇が父で、臣民は子であるという家族国家観は今はなきものだけれど、日本人民族のDNAには、家族とのかかわり、親戚や近所のつきあいの中で幸せを感じやすい血が流れている。

 

欧米の場合、これは教会。

大学生の頃、アメリカの小さな田舎町、アイダホ州のボイシに留学したことがあって、日曜日になると友人とその家族と一緒に教会へ行った。信仰の厚い友人もいれば、教会でもふざけるくらい形式的な信仰の友人もいたけど、彼らを見ていると、教会は慣習をつうじて人生の深い所に根づいているのだと感じた。

 

教会にはいつも、50人や100人規模の人がいた。年配の人ばかりじゃなくて、青年も多くいた。交流も盛んで、初めて教会の勉強会に参加したときは、「今日は日本から留学生がきているぞ」と大勢の前で突然紹介されて、あたふたしたこともあった。

家と学校(とせいぜい習い事)、が集いのすべてだった私には、教会をベースとした地域の集いは、とても新鮮で、羨ましいものに見えた。なぜなら、ここに幸せの答えがあると直感したからだった。日本にもこんな場所があればいいのにと当時心から思った。

 

幸せはいつも繋がりの中にあると思う。それは、日本もアメリカも同じ。そして、繋がりの大元にあるのは信仰だった。同じ何かを信じることによって他人という切り離された存在も、「人類の兄弟」として深い所で繋がった。

 

冒頭でも書いたように、日本の場合、天皇であった。父、祖父、曾祖父をたどっていくと天皇に通じ、親戚や地域の人間は、同じ主をもつ家族のようなものだった。戦後、天皇が象徴となったことは、日本人にとって、大木の根だけ切り離されたようなものだと思う。根を断たれた大木は倒れ、それぞれの枝葉は、ばらばらになって大地に散らばった。そうして我々は孤立していく。

 

それでもしばらくは名残があった。大地に落ちた枝葉も、すぐに枯れることはない。正月やお盆などの節目は、親戚で集い、めでたいときはご馳走で祝った。祭りは地域を賑やかにした。

しかし、枝葉が次第に枯れていく。核家族化が進み、大きくなった子供達は親元を離れ一人暮らしをはじめた。年長者は厄介払いされるように老人ホームに押し込まれ、今ではアパートの隣に誰が住んでいるのかさえ知らない。地域の祭りも、コロナで自粛され、このまま再開されずに廃れていく地域もあるだろう。

 

幸せは国家や地域で分かち合うものから、親戚→核家族→夫婦→個人と、小さなものに変わっていく。夢をかなえることの幸せは、もしかしたら幸せの個人化を象徴しているのかもしれない。所有の幸せや、娯楽の幸せは言わずもがなである。テレビ放送がはじまった1960年頃は、地域の人たちがテレビのある家に集まって相撲中継を見たというが、今はスマホやタブレットで一人映画を観る。

幸せが個人化に向かうのなら、世の中が、自分、自分、自分、となるのは、仕方がないのかもしれない。

 

今の日本が、アメリカから教会が取り壊されたようなものだとしたら、幸せを感じにくいのも無理はない。私事であるが、昨年、他界した祖父の家が取り壊された。祖父の家の座敷は、親戚一同が集まる唯一の場所だった。今後、親戚集まることは、もう葬式くらいだろう。物理的な場がなくなるのは悲しい。

 

枝から切り離された葉は、いつも寂しいのである。物質は満ちていても、信仰が失われて、人間の根源的な課題である、孤立については放ったらかしである。特に寂しいのは、今の子供達や、子育て中の母だろう。閉ざされた家庭だけでは限界がある。都会に住んで、人とたくさん出会えば、この孤立感は解消されるものでもない。あの胸が温かくなるような深いつながりは、横糸だけではなく、縦にも斜めにも糸が縦横無尽に走るような、形式的だとしても信仰を必要とするものなんだと思う。

 

さてどうする。申し訳ないが、私はここについての答えを持っていない。恥ずかしながら、この問題について考えたこともなかった。

信仰の希薄化も、幸せの個人化も、時代の宿命であるから、今から神を信じることは難しい。それならば「どん底に落ちたら底を掘れ」の精神で、自分の幸せを追求した結果、親や親戚や地域に還元されていくような、そんな生き方を目指すことなんじゃないかなと思う。

 

その一つの答えとして、村に住むことがあると思う。畑でとれた野菜を隣の家のおばあちゃんにお裾分けしに行くとかは分かりやすい例えだ。

昨年の夏に青森の南部町でお世話になった、自給自足の生活をする田村さんがムラビトプロジェクトというのを始めた。自給自足の暮らしに興味ある人を集めて村をつくるという試みである。

自分の住む家、自分が着るもの、自分の食べるもの、自分がつかう電気、自分がつかう水を、自分でつくるように心がけると、科学信仰で凝り固まった頭はほぐれていく。

「村」で繋がりが生まれやすいのは、かつて氏神様を信じたように、自然の神様を根っこにしているのかもしれない。

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