不倫の不徳を犯し、あまたの非難を背に社会から弾かれるように山で狩猟生活をはじめた男がいる。どうやらこの男は読書家のようで、三島由紀夫の葉隠入門も読んでいる。不倫の道徳を問えば、当然悪にちがいなく、してはならぬことであるし、すればクズ人間となる。しかし、理性では抑えきれないほどの恋をして、自ら道徳破りに足を踏み込んだのなら、それはそれで見事だと脱帽する。善人はそれをしないのではなく、それをする力がないのである。
社会から制裁を受けるのは自業自得であるが、それも受け入れてしまえば運命の子となる。運命の子となった彼からは、生命の野性を感じられ、不倫を犯す不良性がまた魅力となっている。女にモテるのも頷けるし、日ごろから読書もしているのだから、同じ男としてすべてに劣っているようで劣等感を感じずにはいられない。しかし、この男としての劣等感こそ、生命的な糧になるものだと感じる。
最近は、男の性質は「ぶった斬る」ものであると強く感じる。葉隠が根底にあるので、イメージは言葉のとおり、侍が刀でぶった斬るのである。つまらない道徳をぶった斬り、つまらない風潮をぶった斬り、つまらない感情をぶった斬り、つまらない過去と惰性的な日常をぶった斬るのである。そして、ルパンの石川五ェ門のように「またつまらぬものを斬ってしまった」とクールに言い放ち、にやりと笑うのだ。つまらないものを斬ったあとは、世界からつまらないものがなくなるから、結果、愉快になるのである。これが、最近私の思う葉隠であり、男の愛しい性質である。
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