味付けが濃ければ少しの野菜で多くの米を食える。三日も四日もかけて少しずつ食い延命する。[988/1000]

雪は雪でも、ここ長野には上雪(かみゆき)と下雪(しもゆき)がある。私の棲む諏訪地方に、ほとんど雪が降らないというのは、西高東低の冬型気圧配置に起こる下雪のことであり、春が近づく3月になると、上雪といって水分を含んだ重たい雪が降る。話には聞いていたが、雪は想像以上に重たく、日頃からぬかるみに苦戦している私の車は、完全に動かせなくなった。そうして丸三日間、閉ざされた森のなかで晴耕雨読の日を過ごしている。

 

幸い食料はある。ただし、懐の具合が芳しくない私においては、味付けがずいぶん濃くなった。味付けが濃ければ、少しの野菜で多くの米を食える。キャベツと鳥皮を醤油で煮込んだものを、まるで漬物を食うかのようにして、三日も四日もかけて少しずつ食い、延命するのである。鍋は鳥の脂を余すことなく食えるため、少しの無駄も出せぬような貧しい時分に向いている。玄米でミネラルを含む、ある程度の栄養はとれるのだから、野菜と脂質を少しとれば十分である。

米も野菜も値上がりする今日は、食うことに苦しむ庶民は少なくない。過分に働く余地があるといえ、一人身の私ですらこんな状況なのだから、子を持つ家庭はさぞかし大変な苦労を強いられていることと思う。

 

世間は、政治への不満で溢れている。私もまた、ガソリン代の高騰で(そもそも長野はガソリンが日本一高い)新聞配達も金にならぬような状況に、思う所がないわけでもないが、中村天風先生の「積極一貫」の言葉に触れるたび、こんなことではいかんなと、不平不満を嘆こうとした自分を恥じるのである。いつから己は弱者になり果てたのだ、と。不平不満に浸れば、消極的な気を食いつづけ、気づかぬうちに窶れていく。それが癖づけば、人間の心の偉大さを知らぬまま、生涯、不平不満を嘆いて生きていくことになる。

積極一貫であろうと努め励むことと、消極的な心で嘆くことの、どちらが自分を破滅させる行為かは一目瞭然だ。無論、ほんとうに苦しく、どうしようもないときもある。だが、天風先生の「積極一貫」の言葉を眺めていると、いかなる時も、いかなる状況も”必ず”吹き飛ばせるという強い信念を感ずるのである。今できる役割を考え励んでいく。

 

2025.3.5