プロメテウスは太陽の火を篝火に移し取り、人間のところへ持って下った[968/1000]

エピメテウスはすべての動物に、勇氣や、力や、早さや、智慧などの賜物をさずけました。或る者は翼を、或る者は蹄を、或る者は身を隠すための殻を貰い出しました。ところが萬物の霊長たるべき人間の番になると、他の動物に何もかもあたえつくしてしまった後で、これという程の物が一つもなくなっていました。エピメテウスは困って兄のプロメテウスに相談しました。プロメテウスは女神アテナの助けを借りて、天へ昇って太陽の二輪車の火を自分の篝火に移し取り、その火を人間のところへ持って下りました。この賜物によって、人間は初めて他の動物以上のものとなりました。すなわち、その火のお蔭で、人間はすべての動物を征服すべき武器をも作り、土地を開拓する道具をも作り、また住家を暖めて寒さをしのぐ方法をも知ったのであります。

ブルフィンチ「ギリシア・ローマ神話」

動物たちが地を這い餌を求めるとき、人間は月を見上げた。人間が神より授かった火は生活の道具にかぎらず、信仰としての火でもある。

森にあたらしく家をつくった。氷点下に晒されつづけていた家はとても冷たかったが、ストーヴを焚いて数日もすると、木が熱を蓄えて、ストーヴを焚いていない時間もそれなりに暖まるようになる。家を持たず生きていた私の心は荒んでいったが、実際、足りていなかったのは火だったのだろう。身体が寒さに晒されつづけると、人間は人間たらしめる火の存在に飢えていく。肉体が困窮するほど信仰の炎は燃え上がると思われるが、そんなものは美しいおとぎ話の世界である。断食すれば、かえって食うことばかり考えてしまうように、凍えつづければ、どう寒さをしのいで生き延びるかばかり考えてしまう。マッチ売りの少女のように、凍える夜に星々に包まれて美しく死ぬのは容易ではない。生き延びるためなら、美学も捨ててしまうのが現代人である。醜くとも、段ボールで家をこしらえる。格好だってどうでもよくなる。星々の下で凍え死ぬよりも、地上の火を求めつづけるのである。星々のなかに希望はあるかもしれぬが、天に祈るのは最後の最後でいい。生きているかぎりは、地上の火を追い求める。地上の火といえど神より授かりし賜物だ。火を獲得し動物を凌駕した。寒さをしのぎ力を得た。原点を見つめれば、地上の火にも当然神は宿っている。やせ我慢も結構。だが、火を求めて恥じるものか。生活の炎のなかから、信仰を手繰り寄せるのだ。

 

2025.2.13