誕生日を祝う慣習は日本にはなかった。戦前、厳密には1949年までは「数え年」であったため、正月に皆がいっせいに歳を重ねたのだ。1949年以降も、しばらくは、以前の慣習を継承し、個人の誕生日を祝うことはなかった。気になって両親に確かめてみると、たしかに両親も子供のころは、一度も祝ってもらったことがなかったという。聞いた話から推測すると、一般に誕生日が祝われ始めたのが、70年代から80年代にかけてのことらしい。大体、そのあたりから西欧化の浸透が生活の細部に入り込み、慣習としてあらわれはじめたのだろう。思えば、誕生日の歌といえば「happy birthday to you」以外に聞いたことがない。私は日本らしさが微塵もないこの歌が、私には子供の頃からどうも受けつけられなかった。その理由が今ようやく分かるのだ。
自分などは生誕を祝うに値しない存在だと思うのである。これは「自己卑下」とは意味が違う。自分を卑しめるために、自己の価値を否定するのではなく、貴くあろうとするならば、自分の価値など、どうしようもないと認めざるをえないのである。
人間は、自己を自己たらしめる中心的存在や、築かれた生活の中心にある根源を祝ってきたのではなかろうか。百姓にとっては豊作を祝い願うための祭りであり、キリスト教徒にとってはクリスマスであり、国民にとっては天皇や皇帝の誕生を祝う天長節だったのではなかろうか。自己の外に自己の根源があり、生活の中心がある。自己よりも大きな存在を前にすれば、自分の生誕を祝うなど烏滸がましくてしかたがない気持ちになるだろう。
自己の中心的存在が自己になることをエゴイズムという。信仰が少しずつ失われていくとともに、エゴイズムの原理によって個人を祝う慣習が徐々に浸透していったと想像する。天長節に国の繁栄を皆で願う代わりに、個人の幸せを願うようになったのである。ゆえに、今日の幸せにつきまとう虚しさとは、個人として天から分断された虚しさである。こうした幸せと区別するために、仕え合わすという字をあて「仕合せ」という語を用いるのである。これも今日では使われなくなった語である。
皆で鍋をつつく代わりに、小皿に分けられた料理のほうが誰の唾もつかないと言うのでは、例え料理が美味くとも虚しかろう。国の繁栄を皆で願えば、貧しかろうと皆一つである。平和とは、一つになるとは、そういうことではなかろうか。断じて、”満たされた自我の集団”ではなく、もう一度、自分よりも大きな存在のもとに、同じことを祝い、同じことを願うことではなかろうか。
2024.1.28
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