隠遁生活の生活の様子[538/1000]

2023年10月からはじめた隠遁生活も、クリスマスイブに一度区切ることを考えると、いよいよあと二週間となった。正直な心境を打ち明ければ、私は外に飛び出したくて仕方がない。人間に会いたくて仕方がない。

 

そんな心境の私にとっては、街に食材を買うついでに仕入れてくる、火付け用の新聞紙すら、外の世界を知る、貴重な情報源なのだ。この21世紀の情報社会において、一か月前の資源用の古新聞を、情報として有難そうに読んでいる人間など、私以外にいるだろうか。私は、一か月以上前の新聞を読んで、つい最近、藤井聡太が八冠を制したことを知ったのだ。

古新聞を情報源にすることは、一つの価値転換である。本来は情報が価値であったから、資源的価値に変換されたものを、再び情報的価値に変換する。そして、情報を得たあとは、再び資源価値に変換し、ダンボールと一緒に燃やして、コーヒーの湯を沸かしている。

 

いっぽうで、少し安心もしている。私にとっては途方も長いこの三ヵ月も、世界にとっては、何ら変わりのない三ヵ月であり、三ヵ月で世界がガラッと変わることがないように、古新聞を何度か読んでいれば、国際情勢も、国内政治も、大まかな流れをくみとれてしまうのである。

隠遁生活をはじめる前、わたしにはある考えがあった。今日の情報の大半は、埃と同じで風がぴゅうと吹けばどこかへ飛んで行ってしまうものである。どのみち吹き飛んでいく埃など、相手にしなくても、大して影響はあるまい。この考えは、この三ヵ月を振り返るかぎりは正しかったと思われる。

また、隠遁生活の意義とは、現象から離れ、現象を生み出す非現象を探求することであり、それがかなうのが書物の読書であった。

 

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この際、少し隠遁生活の、実際的な話をしてみようと思う。新聞紙一枚と、50㎝四方の段ボールがあれば、熱々のコーヒー一杯分の湯を沸かすことができる。手軽に少量の湯を沸かしたいような場合には、火をつけるのにも、最大火力に到達するまで時間のかかる木材を燃やすよりも、すぐに燃えて最大火力に到達し、過不足なく必要量の熱を調整できる紙類を燃やすほうが理にかなっている。

米を炊くときは、薪を使うが、薪は同じ分量でも細かく割って使うほど、持続時間は短く、最高火力は上がる。土鍋を使うのか、圧力鍋を使うのか、調理器具の特性を最大限引き出すための薪の扱い方も当然変わる。

私が玄米をたくときに使う圧力鍋は、最高圧に達すれば、あとは余熱で調理できてしまうので、序盤から火力を増し増しにし、高圧状態になれば、あとは砕けた木炭の上においておくだけで熱は足りてしまう。

もっとも、家庭用のIHやガスコンロと違い、火力に上限のないキャンピングスタイルでは、土鍋を使った方が相性がいいように思われる。

 

洗濯は川の水を使う。最近は川の水が冷たいので、湯を沸かしたものをバケツのなかで中和させる。物干しざおのかわりに、麻ひもを木と木に結びつけ、ここに吊るす。この程度の、生活技量であるが、どうにでもなってしまっている。

 

水を必要としないペール缶を使ったコンポストトイレと、同じくペール缶を使った調理用のロケットストーブは、青森で手作りの暮らしをされる田村さんに教わったものだ。

文明に敗北し、便利のなかに葬り去られた生活の知恵と、生活の知恵から生み出される、こうした手作りの暮らしには、百姓の精神を感じる。実際的なものと高尚なものは縁がなさそうで、実は通じ合っているのだろうと感じる今日だ。

 

2023.12.10

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