11月15日、今日は何の日か。狩猟解禁日だ。
全国の猟師たちは今日という今日を待ちわびて、いっせいに山に入る。鹿、熊、猪などの大型獣から、カモなどの鳥類とのかけひきがはじまり、早いところでは今晩から、大地を祝した新鮮な肉が、食卓に並ぶ。
山には、「鉄」の臭いが満ちていく。猟師が鉄砲か罠を持ち込むからだ。動物たちは鉄の臭いを警戒する。猟師もそれを知っているから、あらかじめ罠は山の土を被せて臭いを消しておくように努める。
動物たちとの知恵比べが始まる。さあ、今年も狩りがはじまる。伝統ある狩りの季節だ。
私は猟師にあこがれている。彼らほど、精神的かつ実際的で、伝統的かつ神秘的で、生命的かつ人間的な生き様があるだろうか。また、彼らほど、野蛮で血の滾る生き様はあるだろうか。現代人にとっては野蛮であるが、野蛮は高貴と紙一重である。
もし運命の歯車があえば、来年の今日、山に入れることを密かに夢見ている。
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苦しくも、今日はあまりに書くことがないので、トーマス・マン「魔の山」に登場する、主人公ハンス・カストルプの恋の相手、ショーシャ婦人の言葉を3つ紹介したい。ショーシャ婦人は、実に魅力的な人物だ。
私タチハネ、自分ヲ大事ニスルヨリハ、自分ヲ傷ツケ、苦シメルノガ、ズット道徳的ダト思ワレルノヨ。
情熱とは人生を人生そのもののために生きることなんですもの。ところがあなた方ドイツの殿方は体験が目的で生きていらっしゃるんですからね、そういう定評よ。情熱とは自分を忘れること。それなのに、あなた方は、自分を豊かにすることがまず第一なんですからね。
女として、男のために、それもあんなのいわゆる大きさを持つ男のために、そしてこっちに感情を向けてくれて、その衰えを心配してくれるような男のために屈辱さえも甘んじて忍ぼうとしない女がいたとしたら、そんなのは女とはいえないと思うわ。
「道徳」と「道徳的」はイコールではない。道徳的道徳もあれば、道徳的不道徳もあるということだ。自分を大事にすることは今日の道徳かもしれないが、道徳的ではないかもしれない。
「道徳とは脳髄の衰弱だ」といったのは、ランボオだった。道徳を守るよりも、道徳的を問うことのほうが、ずっと道徳的なのだろう。
2023.11.15
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