千日前、新潟の柿崎にある海にいた。二年に及ぶ無気力な衰弱状態をやっとの力で振りきり、カビの生えた部屋でずっと夢見た大海原に逃れてきたのである。オーストラリアをヒッチハイクで横断し、ゴールドコーストから朝日を望んで以来、虚無の槌に粉々に打ち砕かれた精神は、それでも海に救いを求めたのである。
脆弱であることには変わりなく、いつ鬱がぶり返すかも分からぬ状態だった。制御不能な心を繁忙のなかへ押し込んでしまおうと、この千日の手記は始まった。根本的に心を治療をするでもなく、意のままにならぬ心を多忙の底へ葬らんとする考えは「対処療法」に近いものである。が、この世の中を見渡して、「病人」でないといえる者は、果たしてどれだけいるだろう?国家の迷妄に彷徨いつづける人々の魂を見ると、病は迷妄と堕落によって生じる宿命であり、病を真に克服することが肉体を解放し魂を救済する第一歩に思われてくる。
そうした意味で、私の千日の歩みは、その場でじっとしていられない脆弱な心が生んだ「闘病記」だったと言える。くだらぬ自尊心のために、威勢のいい言葉を並べたこともあった。生命や魂、精神的な事柄を取り扱うことが多かったのも、衰弱した心に強烈なメスを差し込み、溜まった膿を出して楽になるための対処療法、ないしは自浄作用を強めるための漢方薬を処したようなものである。
千夜を越えたいま治癒したかを問われれば、実のところまだ分からない。身も心も毒は抜け、力満つ元気な状態となったものの、真に病を克服した状態は愛に等しいものを言うのだから、この千日投稿を終えた後の行動を観察して、はじめて治癒を知ることができるだろう。無論、私はそのつもりである。
さて、この千日の間で死生観にも甚だしい変動があった。全部を振り返ることはとてもかなわないが、543日目の「追憶の魂」は病める魂の彷徨と、闘病を紡いだ詩だったといえる。千日全体を通しても、この隠遁期間(482日目~553日目)に綴った断片は、特に私の記憶に美しく刻まれている。
「追憶の魂 [543/1000]」
解放を掲げた戦いは 既に灰塵の上にあり
虚空を捕らえる咆哮を 大砂漠が嘲笑う黄金が眠る海でさえ 海神は沈黙し
夜山に沈む空身の果てに 涙堕ちれば 堕ちる人生
悪意の月光酔い痴れば 故郷の風が頬を撫でる
枯れ萎れた魂よ 野性の鹿血を喉に汲め諏訪湖に燃ゆる宙核を 巨大な槍となり突き裂け
同情に滅びた神の墓 慟哭する英霊の影
虚偽の鎧は銭と朽ち 貉の母啼く森に死す
揺らめく炎 服する書物 幽居 霊薬に満つ無気力の根は断ち切れた サタンよ孤独の戦友となれ
悪意の奥底も見極めた 慈愛よ焔を心得よ砂漠に斃れる旅人の 地に轟く詩となれ
血涙 溢るる放浪の 赦されよ 赦さぬを
厭世 泥這い 身は窶れ 幸福 道化に楯を突く己がなけなし 分別の 胸を叩けよ 草枕
深山幽谷 寂漠を 破るる春が胸を汲む生死一閃まどろみの 生命を叩く無邪気さよ
ああ美わしき魂よ 『愛と希望を忘れるな』
体と心と魂の三位一体こそ健康の本質に思われる。一つ欠けば堕落する。私自身、堕落を認めたところから、ようやく人生がはじまったように思う。「俺達は清らかな光の発見に志す身ではないのか」とランボオは言った。私もまた、暗く孤独な谷底に堕ちて、はじめて光る星の存在を認識できたのだった。星を見つけては地に堕とされる。それを何度も繰り返しながら、最後には元気な足で地上の大地を踏みゆくのである。
何はともあれ、千日投稿は終わりを迎えた。千日目の今日が、春の吉兆を感じさせてくれる、朗らかな日和であることを幸運に思う。明日からもう書かなくていいのだと思うと、何だか寂しい気持ちになる。独りきりで千日の舟を漕いでいたようで、実は後ろを振り向けば、かけがえのない友が朗らかな表情で、ずっと手伝ってくれていたような気がする。数少ない読者よ、ここまで一緒に漕ぎすすめてくれたことに、心から御礼申し上げる。有難う。またいつか、共に。ではお元気で。
2025.3.17