ホームレスの哲学[345/1000]

345日前、坂口恭平さんの本を読んで、感動の嵐に襲われた。この1000日投稿をはじめたきっかけとなったのも、坂口恭平さんの言葉だった。

「人間には誰にでもつづける能力がそなわっている。皆嫌なこと毎日つづけてる。」という皮肉ったようなような言葉であったが、私は思わず自分の愚かさがおかしくなって、溜めこんでいたものを一気に吹き飛ばすように笑ったことをおぼえている。心に爽やかな風が吹いて、「ああ、自分でもなんだかやれそうだ」と思えたのだ。

昨日、坂口恭平さんの「独立国家のつくりかた」を久しぶりに読み返した。あまりにも軽快で「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」も一気読みした。頭が熱くなって、夢のなかでも本を読んでいるくらい興奮していた。坂口さんの子供のような感性にふれると、今いる世界がひっくり返るような感覚をおぼえる。独立国家のつくりかたは、特におすすめしたい。

 

「なぜ人は家賃を払わないと生きていけないのか」  僕はこれが疑問であった。しかし、この質問を誰に投げかけても、どうやらこれを不思議と思う人はほとんどいないようだった。家賃は払い、家は買うのが当たり前なのである。しかし、僕たちの横の河川敷のおじさんたちは、家を0円で建て、土地代なんか払っていない。そういう事実があるのに、どうやら僕たちは家賃を払うことに疑問がない。それがとても不思議だった。

坂口恭平「独立国家のつくりかた」

 

まず僕たちはもともと狂っているのだ。そこから始めたい。狂っている僕は、狂っている世界から離れた路上生活者たちの所有をしない世界を見て、自分が狂っていたことを認識した。でも彼らはこの世から見たら無法者であるらしい。そうやって見てみると、いろいろと発見があった。違法って何なのだろうと思った。僕は普通の思考をしてみたいと思った。なんでお金がなくなったら住む場所がなくなるのか。普通に考えたらおかしい。動物は別にお金なんかなくとも生きていける。それと人間は根源的には変わらないはずだ。

坂口恭平「独立国家のつくりかた」

 

僕が思う「哲学」というものは、この隅田公園と隅田川河川敷が実は違う管轄で、それによって警察の動き方や行政の動き方が変わることを理解し、自分の暮らす場所を獲得するという行為そのものである。彼は匿名化していた「土地」を名のある大地として再認識した。つまり、レイヤー間をジャンプし、サバイブすることに成功したのだ。その「考える」行為。匿名化した社会システムレイヤーの裂け目、空間のほつれを認識し、そこに多層なレイヤーが存在していることを知覚し、ジャンプし、独自のレイヤーを作成する行為。これが「生きる」である。

坂口恭平「独立国家のつくりかた」

 

この本の主人公は、ホームレスである。ホームレスの哲学から、「常識」と「ふつう」と「あたり前」と「お金」に凝り固まった頭をほぐしていく。

社会の人間にとってホームレスは、金を持っていない、蔑み、怯え、憐れみ、見下す、汚い対象である。しかし、それは社会から見える彼らに過ぎない。彼らは、社会からはじき出された不幸の中で、法律や科学を考え、暮らしと生きることを問うて、独自の生き方をつくりあげる。金がなくても生きていけることを体験として発見し、技術として智慧を身に着けていく。

堕ちるところまで堕ちて、そこから自己の美学をつくりだすことは、彼らにとっての「堕落論」なんだと思う。みすぼらしく聞こえるかもしれないが、自己に誇りを持っている。

 

私がこの本に影響を受けるのは、私自身、ホームレスのような人間であり、彼らを先生として尊敬する一面があるからである。「生きることには金がかかることはおかしい」という信念に共感し、金がかからないことも体験としてある程度信じている。”ある程度”というのであって、まだ完全にではない。家と水と電気にはもう何年も金を払っていないが、食料と税金には金がかかる。私にとって堕ちるところまで堕ちることは、いっさい金がかからないその境地を意味している。

 

学校社会、つまり無意識の匿名化したレイヤー、つまり社会システムは絶対に忘れてはいけない。このレイヤーから逃れたいと希求する人もいるけれど、それはとんでもない話だ。これがあるから社会は成り立っている。つまり、これは地面のようなものだ。アスファルトです。アスファルトになってしまっているので、息苦しいのだが。本当は社会システムもアスファルトを壊して、ぼこぼこの土のようになればいいのだと思うが、なかなかそうなるのは難しいだろう。

坂口恭平「独立国家のつくりかた」

 

「社会を変える」ということは「社会を拡げる」ということである。独自のレイヤーを見つけるだけでは駄目で、それをもとに交易すること。これが社会を拡張する。社会を拡げる。「裸の情報」を自らの方法で解釈し、独自のレイヤーをつくり、それをもとに交易する。

坂口恭平「独立国家のつくりかた」

 

独自のレイヤーをつくりだすことは、見方を変えれば、堕落することであり、生命を救済することである。堕落であるから最初は苦しい。ホームレスたちも、喜んでなった者はいないはずだ。苦しみのなかに生きることを考えはじめ、そこに自分の美学と哲学を築き上げていった。それこそ、その人間にとっての「武士道」であり、生命の形であると私は思う。

苦しみの多くは、この無意識の匿名化されたレイヤー(常識や、普通や、当たり前や、お金)に由来している。長年身体に染みついた癖のように、反射的な思考や感情として、定期的に生じてくる。

しかし、世界はここだけではないことをおぼえておこう。見方を変えれば、別のレイヤーは無限に存在している。海外に旅したことがある人なら想像しやすい、それは異国の風を感じるようなものだ。

堕落した先に、掴みに行くのだ。

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