このくそつまらない人生を燃やし尽くせないか。ちり紙同然に燃えて、灰はすべて風に飛ばされよ。
男は女にためになら、女は男のためになら堕ちきることができるのかもしれない。悪への快楽か。生命の渇望か。それとも恋か。体操着が盗まれた、誰もがクラスでいちばん可愛いと認める女は善人であったが、不幸に染まることを選ぶ。男のためか、自分のためか。https://t.co/9PzMpwrD04
— 内田知弥 (@tomtombread) May 12, 2023
「惡の華」を読了したものの、残るのはコンプレックスだけではないか。
あれほど、生命をむき出しにし、真っ逆さまに地獄まで堕ちる力を見せつけられて、どうして己を情けなく思わずいられよう。
生命をむき出しにできない人生なんて何の意味がある。堕ちることもつまらないことであるが、堕ちきれないことはもっとつまらない。なぜならば、そこには生命の惰性はあっても活動がないからだ。善はあっても美学がないからだ。
なによりも、なによりも、この生命だけをむき出しにしたい。肉体は欲望し、安心と安全に身をくるめようとするが、本当に深い深いところでは、ただ生命はむき出しとなり叫びをあげたがっている。
この人生はつまらない。違う。お前という人間がつまらない。お前という人間がつまらないから、この人生もくそみたいにつまらない。
生命を思い切り振り切るしかない。思い切り振り切らなければ、このまま沼に沈んでいき、生きたまま腐臭を放つぞ。
夢見ていたあらゆるものを実現したらそこに何がある。
己が抱えるこの幽霊はどこまで彷徨いつづける。
倦怠はどうすれば吹き飛ぶ。
我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。
なにもかも、この人生のすべてを燃やし尽くしてしまいたい。
きれいなものも、きたないものも、すべてをひっくるめて、何もないまっさらな地平線はどれほど無邪気だ。
己が立つこの大地を真っ二つに叩き割り、割れ目の底で這いつくばれ。
虚無と永遠。堕落した生命こそ、惡の華なのか。
年の数だけ生きてきたこの生命も、寿命まで生きられる保証はない。
あと何年で死ねるだろう。それまでに、お前はどこまでやれる。
今宵はどうか、満月であってほしい。
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