堕ちるところまで堕ちたら楽になれるのか[324/1000]

「つりはいらないよ。これで坊ちゃんに飴玉のひとつでも買ってやりな。」そう言って机の上に500円札を1枚置き、颯爽と去ろうとするも、後ろから女将に呼び止められる。これしきのこと気にすることはございませんと女将を制するも、「あの、お代足りてませんけど」と言われるシーンはもはや寅さんとなった。喧嘩するたびに、叔父ちゃんと叔母ちゃんと、妹さくらを泣かせ、いい歳して所帯も持たないフーテンの寅さんである。堕落の罪と恥、孤独と悲哀は、寅さんを深い谷に突き落とすが、どうして寅さんは、あんなにも気前よくひとに金をやり、酒をご馳走し、愉しそうに生きられるのだろう。

 

道徳に留まれば、心はどんどん綺麗になっていくが、堕ちるうちはどんどん心が荒んでいく。いま、私の心は荒みきっており、朝からひどい顔をしている。一度堕ちはじめた生命は、堕ちきらなければ上昇できない。とっとと堕ちきってしまいたいのだが、堕ちきる強さをもたなければ、くすぶることになる。変に考えるからダメなんだ。こういうのは小利口な人間がいちばんタチが悪い。こう言っては悪いが、寅さんは理屈を嫌うバカだからこそ、真っすぐに堕ちきることができるのだと思う。くすぶっている閉鎖感の、底を突き抜けられたら、どれほどいいだろう。ただ重力に身を委ねて、楽に楽に堕ちてはいけないものか。

 

一方、これも時間の問題であるような気もする。一度堕ちはじめた生命には、特殊な重力がかかりはじめる。善人は道徳を地べたにこれを回避するが、道徳から抜け落ちた生命にこれを回避する術はない。堕落するぎりぎりのところを、最後の良心によって必死にしがみつくが、遅かれ早かれ力は尽き、奈落の底に真っ逆さまに堕ちていくのではないか。一度堕ちはじめた生命は、堕ちるところまで堕ちなければ、魂の飢えが満たされることはないのではないか。

朝からほんとうにひどい顔をしている。爽やかな風と、小鳥さえずる幸せの朝はどこへ行った。

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