毎日やることに秘められた強力な力/一人の時間で強くなれ![98/1000]

今日も実家には泊まらず、近くの山の麓で朝を迎えた。

この山は、15分もあれば山頂まで登れてしまう。山には失礼だが、展望台からの景観は平凡で、町を一望するためだけにここに来る人は、ほとんどいない。

しかし、私にとってはドラクエでいう「はじまりの町」のような山になっている。登るには物足りなく、登った後も大きな感動があるわけではないが、帰ってきた自分の心がどれほど磨かれているか、それを問いながら、登れる。

 

 

山を歩きながら「毎日繰り返すことが人生になる」と思った。とても当たり前のことだけど、大事なことだから真剣に言いたい。「毎日」がみそだと思う。

正直、まだはっきりとした言葉にはできないけど、1000日投稿のブログをはじめて、それに便乗するように瞑想を課して、瞑想に便乗するように本を読むことを課した。

 

すると不思議と、あんなにも暇に鬱になりそうだった(なっていた)私に、時間が足りない現象が起き始め、もっと時間が欲しいと思うようになった。なんというか、生活が規律的になったことで、1日の骨格のようなものが生まれて、「ああこうして人生はできていくんだな」みたいな漠然とした感覚が生まれた。

同時に、恐ろしいとも思った。今日の自分が、毎日当たり前にやっていることで、人生がつくられていくなら、「今日やらないこと」が毎日の当たり前になっていることは、いつまでたってもやれないままだと思った。

 

それでやっぱり「毎日」がみそだと思う。なんかうまく言葉にできないのだけれど、気分の乗った時だけやるのと、例え発熱していようと必ず毎日やるのとでは、量だけの問題じゃなくて、質そのものが別次元になる気がする。「部分」と「全体」くらい違う。

まだうまく言葉にできないけど、直感的に、毎日には秘められた強力な力があるように感じてる。

 

精神修養 #7 (1.5h/25.5h)

・朝から心はとても元気なようで考えが止まない。しかし意識は明瞭で考えが生じる瞬間を捉えられている。

・「朝は身体の排泄の時間。瞑想は心の排泄のようなものだから、心から色んなものが出てきやすいのかな」

・瞑想をしていると自分の身体は殻のようだと感じる。この身体で五感でこの世界を体験しているのが改めて分かる。

・呼吸に集中していると、水色のドレスを来た太った女性が、踊る映像が浮かんできた。最初は変てこな踊りだったが、すぐにキレのいい踊りへと変った。不思議なことに女性の顔のシミまで鮮明に見えた。知らない女性。

・呼吸に気づきながらも、女性が躍っているのを見るのは、まさにステージのショーを眺めている例えにぴったり。

・普段の思考に気づくときもこうしてスクリーンに映るショーを眺めるような感覚。映像が浮かんでくるときのほうが俯瞰しやすくて、特に太った女性が急に踊り出すような意味をなさない映像ほど、反応せずそのままを俯瞰できる。

 

・夕の瞑想。長い1日だったこともあり、30分で耐え切れず、そのまま眠ってしまった。

・しかし、眠ってしまうくらいなら、外に出て、新鮮な空気を吸って、目を覚まし、何が何でも1時間やり切るべきだった。

・意志の体現として課しているこの規律は自分にとってそれくらい厳格にしたいこと。翌日に取り返そうなんて考えはダメ。翌日には、取り返せない。今日のことは今日しかできない。

・30分の瞑想で、そのまま眠ってしまったので、瞑想後の読書もできなかった。上流が絶たれれ、下流も絶たれてしまう規律は脆弱かもしれない。

 

 

「規律」「集中」「忍耐」の3つを養いたい。直感で、自分が進もうとする道は、この3つの資質を必ず必要とする気がする。なぜなら、私がかっこよさや美しさをおぼえる人間は、必ずこの3つの資質を兼ね揃えているから。

 

1.規律について

現代人は権威主義と闘ってきたので、ありとあらゆる規律にたいして不信の念を抱いている。道理にかなわぬ権威によって押しつけられた規律だけでなく、自分で自分に課す理にかなった規律にたいしても、不信の念を抱いている。

重要なのは、外から押しつけられた規則か何かのように規律の習練を積むのではなく、規律が自分自身の意志の表現となり、楽しいと感じられ、ある種の行動にすこしずつ慣れてゆき、ついにはそれをやめると物足りなく感じられるようになること。

エーリッヒ・フロム. 愛するということ

昨日の瞑想を30分しか行えず、早速自分で課した規律を破ってしまった。やらないよりは、時間を短くしてでも、やったほうがいいが「明日、今日の分を取り返そう」という発想は厳禁だと分かった。

先も書いたように、量の問題ではない。かりに今日、昨日の30分を今日追加してやったとしても、それは「今日の30分」として追加されるに過ぎない。その日の分はその日にしか行えない。

 

 

2. 集中について

集中力の習得においていちばん重要なステップは、本も読まず、ラジオも聞かず、タバコも吸わず、酒も飲まずに、一人でじっとしていられるようになることだ。実際、集中できるということは、一人きりでいられるということであり、一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である。

エーリッヒ・フロム. 愛するということ

私は本当にじっとしていられない人間で、暇に耐え切れず鬱になったくらいである。瞑想をはじめて、呼吸に気づきはじめ、少しずつ集中の鍛錬になっている感触がある。人と会ったときは、人の話を集中して聞くことを心掛けよう。人が話しているときに、自分のことは考えない。ただ、人の話に全力集中する。

 

 

3.忍耐について

集中力を身につけるための習練は、最初のうちはひじょうにむずかしい。目的を達成できないのではないかという気分になる。したがって、いうまでもない ことだが、忍耐力が必要となる。何事にも潮時があるということを知らず、やみくもに事を急ごうとすると、集中力も、また愛する能力も、絶対に身につかない。忍耐力がどういうものかを知りたければ、懸命に歩こうとしている幼児を見ればいい。転んでも、転んでも、転んでも、けっしてやめようとせず、だんだん上手になって、ついには転ばずに歩けるようになる。

エーリッヒ・フロム. 愛するということ

今の私に一番必要なのが、忍耐だと感じる。昨晩の瞑想で、睡魔に負けて、30分で瞑想を切り上げたのも、忍耐のなさが露呈した証拠だった。

疲れを感じても、気が滅入っても、それに安っぽく反応して、意識を持っていかれない。これに関しては、もう言葉で綴るより、実践しかない。

 

 

以上3つ、やる!

今ある一人の時間を、無駄にはしない!一人の時間で、強くなれ!

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