本当に純粋を貫いていれば今はもう生きていない[386/1000]

私は陰謀論者ではないけれど、歴史をみれば明らかにおかしいよなと分かることが、世の中に平然とまかりとおっており、それが見えざる力によって隠蔽される事実に深く悲しんでいる。現世のすべては悪魔の手に落ち、人間の魂がすっかり奪われてしまったように感じてならないのである。私に社会を厭う気持ちがあるとすれば、この悪魔性である。悪魔に魂を売りはらい、人間の誇りを忘れた社会にいると、私もまた魂がジリジリと奪われていく感覚をおぼえるのである。

 

現代の悪魔は分かりやすく、大体は金に繋がっていく。いくら大義があるように見えても、金が絡んでいることが分かった瞬間に、お前もまた悪魔の手先かと絶望するのである。なぜなら、金とは物質の代表であるからである。悪魔は物質に潜み、物質の内側から人間の魂を奪っていくのである。

私も現代人ゆえに、悪魔に憑りつかれている。例えばこのブログも、月に数千円の集金システムが組み込まれており、私は悪魔に魂を売ったことを認めざるをえないのである。このブログは、ドメインやサーバーに金を払う必要があり、ここで得た金のいっさいは維持費であり必要悪であると割り切っている。しかし、悪魔を内に飼っているうちに、内から魂を食い尽くされてしまうことだってあるのである。私はいま、自分のもっとも恥ずべき点の一つを打ち明けてしまった。悪魔に魂を売った卑劣さと、恥をさらしたことに死にたい気分である。

 

昨晩改めて、三島由紀夫の「美しい星」を読んでいた。純粋なものは傷つきやすいと、作中に書かれているとおり、三島由紀夫はその純粋さゆえ45歳までしか生きられなかった人間である。彼の人柄は「美しい星」から直に伝わってくる。昨晩、彼の純粋な心に触れていると、悪魔が支配した現世に立ち向かう勇気がわいてきた。この卑猥な世の中を純粋に生きれば、三島のように、人間は長く生きられない運命にある。今の世の中はそれだけ汚れているのである。私自身、本当に純粋を貫いていれば、今はもう生きていないと思うのである。弱い人間は、その強さによって生き延びるのではなく、悪魔に魂の一部を売り渡すことによって生き延びるのである。しかし、そんなときこそ坂口安吾の「堕落論」を思い出したいのである。人間は堕ちる。堕ちるところまで堕ちる。しかし、堕ちきるほど強くもなく、弱さゆえに己の武士道を編み出さずにはいられないのである。悪魔に負けるな。悪魔を食い尽くせ。

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