とむです!なぜか物持ちが非常に良いです。
先日こんなツイートを見かけました。
人間同士は対等な関係を築くべきだし、自然や物などとも対等な関係がいい。だから酒に溺れたりギャンブルに浸ったり、物にあたったり金の亡者になるとかなんでもそうだけど依存し過ぎてはいけないなと思う。
— 鈴木一真 (@HunterSussan) November 20, 2018
『物を大切にする心を持つと、人を大切にできるので、自分の幸福度も高まるし、対人関係もよくなる』
というのは、理にかなっていると思います。
これは、ボロボロのナイキのバックを10年以上も使っている僕が断言します。
見てください。
色あせてしまい、表面が傷だらけで、チャックは1つ壊れてます。
内側は経年劣化で、糸がほつれてきて、内側の皮からはボロボロのカスが出てきてしまっています。
おそらくコイツは悲鳴をあげているでしょう。
それでも、僕はまだこの子には頑張ってもらうつもりです。
さて、話を戻すと
物を大切にする心を持つと、自分の生き方を大切にすることができます。
この記事は
- 物を大切にする心とはなんぞや
- 物を大切にする心を持つと自分を大切にできる理由
を深くみていきます。
Contents
1 物を大切にする心とは物と対等に接すること
物を大切にする心とは
物と対等に接すること
です
『対等に接する』というのは、対人関係において基本的な姿勢ですが、物に対しても同じように接しよう、ということですね。
これは、「物は大事しなさい!」という母親のお説教じみたことではなくて、
物も、人間と同じように対等に接すれば、結果的に自分を大切にできるのです。
冒頭で紹介したツイートに超共感したのですけど、どうしてか人間は
人は物よりも勝っている存在だ
と思う傾向があるようです。
物は人が創り出したものだから?
けど、我々が交尾して創り出す「子供」は、劣っている存在ではなく、人権を持つ1人の人間ですよね。
物には命がないから?
けど、物って人が命の一部を使って、創り出したものですよね。(3.1で詳しく書いてます)
物を雑に扱うのは、まぎれもなく、“人間様”の傲慢です。
「人と違って、物を雑に扱っても文句を言われることもない。文句を言われないなら、雑に扱ってしまえ。」
「人と違って、物に当たっても刑務所に入れられることはない。何も言ってこないのなら、物に当たってしまえ。」
これが、人間の本音です。
こういう接し方をしても、あまりいいことはありません。
傲慢さがどんどん増していきますからね。
それに、この考え方は、『この人(物)なら雑に扱ってもいい』と本質的に同じです。
だから、物を大切にする心がない人は、他人を大切にできない…と言えるのですが
同時に、物を大切にする心がないのは、自分を大切にできていないとも言えます。
まずは、物に対しても、「人と同じく対等に接すること」を心がけてみてください。
物に対しても対等に接するように心がけると、自分を結果的に大切にできます。
まとめると、物を大切にする心というのは
- 物と対等に接する心であり
- 自分や他人を大切にする姿勢そのもの
です。
2 物を丁寧に扱えるのは、物と対等に接した結果にすぎない
物と対等に接することを、もう少し深くみていきましょう。
一般的に、物を大切にするというと
- 丁寧に扱う
- 長く使う
というような考え方が浮かびますよね。
物と対等に接するというのは少しニュアンスが違います。
物と対等に接するとは
優劣を持たないこと
です
つまり、「自立した自分 vs 自立した物」として物と接するということですね。
だから、物と対等に接するためにはまず、
人が自立する必要
があります。
番長
酒やスマホの快楽に溺れてしまったり、嫌なことがあったときに物に当たったりしてしまうのは、人が精神的に自立できていない結果です。
物を尊重して、対等に接すれば自ずと物に対する感謝の気持ちを持つことできます。
そう考えると、トイレットペーパーでお尻を拭くのが少し申し訳なくなる笑
いやあ本当にありがたい。
— とむ (@tomtombread) November 21, 2018
物を長く使うことや、物に感謝することは、物と対等に接するという心構えの結果として得られるものですね。
もしこれまで、物を丁寧に扱おうと、心がけてきたにも関わらず、気付いたら雑に扱ってしまっていたという方は
「物と対等に接するマインド」を大切にしてみてください。
結果的に、物を大事に扱えるようになると思います。
3 物を大切にする心を持つと人を大切にできる理由
ここまで『物を大切にする心を持つことで、自分を大切にできるよ』ということをお伝えしました。
よく、『物には命が宿っている』というスピリチュアルな話も聞きますが、これも考え方によっては間違っていないと僕は思います。
3.1 物は人の命が「形」になったもの
どうして物を大切にしたいかって
物は人の命が「形」になったもの
だからです
「超スピリチュアルじゃん」と思われるかもしれませんが
これは
- 「物」には命が宿っているという擬人的な話ではなくて
- 人が自分の命を使って、創り上げたものが「物」
という意味です。
『人生の時間=命』と考えると、人が時間を費やして創った物は、「命の一部」と言えますよね。
つまり、すべての人工物は、「人の命が形になったもの」といえるということです。
本を1つとっても、そこに詰められた、知識、経験、想いなんかは、まさに著者が自分の命を削って表現した『命の形』です。
今使っているスマホなんかは、スティーブジョブズが全人生を費やして創ったものと考えれば、彼の命そのものということになります。
そう考えると
身の回りの全ての物って
誰かの命が形になったもの
なんですよね
今使っているスマホも、着ている服も、住んでいる家も、誰かが自分の命を消費して、形にしたものです。
そう考えると、身の回りがすごく「人の体温」に包まれているような気がしてきませんか?
もしあなたがピュアであれば、この話を聞いただけで、「物を大切にしよう」と思うはずです(笑)
けど、こうして物の捉え方を変えると、物に対して対等に接しようという気持ちが少しは沸いてきますよね。
4 まとめ
この記事でお伝えしたかったことは以下の5つです!
- 物を大切にする心というのは、物と対等に接することだよ!
- 物と対等に接するというのは、物に依存することなく、自立した人間として接すること
- だから物を大切にする心を持てば、結果的に自分を大切にできるよ!
- もちろん、物に対等に接しれるくらいだから、他人に対しても対等に接せれるよね!
- 物は、人の命が形になったのものだよ!
物が豊かな時代ですが、1人の人間の生き様として、物を大切にする心は持ち続けたいですね。
ではっ!
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