忍ぶ恋について/絶対的な聖域を持つ[127/1000]
自分の中に、絶対的な聖域を持つこと。その聖域には誰にも足を踏み入れさせないこと。言うまでもなく、自分から聖域を打ち明けるなんてことはもっての外である。好きだと言葉にするのは簡単であるが、恋の膨張はそこで終わる。ひたすら耐…
自分の中に、絶対的な聖域を持つこと。その聖域には誰にも足を踏み入れさせないこと。言うまでもなく、自分から聖域を打ち明けるなんてことはもっての外である。好きだと言葉にするのは簡単であるが、恋の膨張はそこで終わる。ひたすら耐…
三島由紀夫の「葉隠入門」と、執行草舟の「超葉隠論」を繰り返し読むうちに、堅物だった言葉たちの血流を感じることができるようになってきた。 執行草舟は、7歳で葉隠と出会い、その後、モーセの十戒に倣って、自身で葉隠十戒をつくっ…
「武士道というは死ぬことと見つけたり。」これは魂のもつ価値に絶対的な信頼を置き、人間存在のすべての価値を魂の尊厳に置くということ。執行草舟は、「物質主義の完全否定だ」と言い切った。豪快である。 我々の大半は、生き伸びるこ…
精神と肉体の自己について、思慮を巡らせている。魂の自分は自由であるが、肉体という制限を与えられたことで、不自由な人間を生きなければならなくなった。こうして考えることも、書くことも、読むことも、与えられた器を使わないと成し…
分からない。執行草舟氏の「超葉隠論」を読了したものの、魂が粉砕した感覚しかなく、どう言葉にしたらいいのか分からないでいる。なんというか、凄まじかった。 今日はあえてこの粉砕した感覚を言葉によって修復することを試みないでお…
覚悟は言葉ではなく、行動によって認められる。 こうして毎日言葉を残すことに躊躇いを感じている。躊躇いを感じ、あるところでは言葉の節にあらわれる虚栄心に恥を認めながら、それでも言葉を残すことを選ぶ。言葉を残すことをやめれば…
幸せじゃないことも、一人ぼっちなことも、誰かに劣っていることも、才能がないことも、恥じる必要はないんだよ。本当に恥ずべきことは、命を燃やせないことだ。死ぬべきときに、死ねないことだ。 他人と勝負している暇なんてない。自分…
120日目。今日も書ける気がせぬ。何も書けないまま時だけが虚しく過ぎようとしているが、この記事を書こうとする私が向かう先が「死」であることだけは、はっきり分かる。 行動の帰結は死。何も書けずとも、私はただこの瞬間の命を燃…
私は自分のことをできの悪い人間、包み隠さずにいえば、愛のない人間だと思うことがよくある。人の為に労を買える人間を見ると、なんと器の大きな人間なのだと感服しながら、己の未熟さに嫌気がさすのであった。 私がかつ…
諏訪湖にて。苦しそうに走っている人を見て、本当に苦しそうだと思った。どこに向かって走っているのだろうと思った。これは私自身が、時折自分に感じていた「私はどこに向かって生きているのだろう」という不安に満ちた漠然とした問いと…