武士道が失われたこの時代にどうして生まれたのだろう。[157/1000]
現代は生の衝動に傾きすぎていて息苦しいという着想から、武士の世界が美しかったのは、生と死の2つの衝動のど真ん中を生きていたからという考えを経由して、サムライの国に生まれた男として、生と死のど真ん中を生きる道を自分なりに探…
現代は生の衝動に傾きすぎていて息苦しいという着想から、武士の世界が美しかったのは、生と死の2つの衝動のど真ん中を生きていたからという考えを経由して、サムライの国に生まれた男として、生と死のど真ん中を生きる道を自分なりに探…
自分を大切にする風潮のど真ん中で、自分を大切にすることの価値を全否定したい。 誤解を招きそうであるが、これは自虐的になれということではない。自虐性も蓋を開ければ、自分を大切にしすぎて、こじれているだけだったりする。 &n…
自分を赦すとか赦さないとか、誰かを赦すとか赦さないとか、そもそも人間は、自分で自分たちを裁けるほど完全な存在なのだろうか。 当たり前のように人を裁いてきたが、それこそが真の傲慢だったのだろうか。https://t.co/…
満たされる自分を拒絶していたのは、満たされる心に生じる、慢心さや奢りを赦せないからだった。 幸せであることと、満たされることは、似ているけど別物。前者は透明で後者は不透明。 私の場合、満たされる心に慢心さや…
気持ち的には700日目くらいの投稿の感覚だが、まだ153日目。 漕いでも漕いでも進まない自転車に乗っているような感覚。漕いでも漕がなくても一定のスピードで進んでいく中、毎日の渾身の生命エネルギーを出力していくのはいかにも…
死んだ人間に安心感をおぼえるのは、これ以上裏切られて失望して傷ついて悲しい思いをすることがないからだろうか。 生きているかぎりは人間で、どんなに格好良く生きていても、慢心1つで卑怯者にも臆病者にもなる。死んで人間を終えた…
朝日とともに新しく始まるこの1日も、あの紅葉のようにいつかは落ち葉となって、宇宙の中に還っていくのかな。 今日も太陽が昇って、昨日と同じように空を見上げるけど、いつの日か手にしたくても二度と届かない淡き青春の日となるのだ…
普遍的な価値を追求する人間において、時代の悩みはいつの時にもあるものだと思う。 「昔は」とか「今の時代は」とか、時代への不平不満など探そうと思えばいくらでも見つかる。でもこの時代に生まれたことを宿命として受け入れなければ…
信じるものを得れば、彷徨える魂に一筋の進むべき道が照らされるが、死まで辿り着けるかは信仰の純粋さによる。 信じる対象がなければ冒険の始まりすらない。信仰によって道が生じる。苦難に見舞われても信じ続け、突き抜けることに人間…
かさじぞうのお話が、何度も思い出される。 貧乏なおじいさんとおばあさんが、正月の餅を買うつもりで笠を作り、おじいさんは町に売りに行く。雪が降り始めたので急いでいると、道の脇に6つのお地蔵さんが佇んでおり頭に雪が積もってい…