魂の修行をしないか/苦悩の一点に突破口がある[124/1000]
精神と肉体の自己について、思慮を巡らせている。魂の自分は自由であるが、肉体という制限を与えられたことで、不自由な人間を生きなければならなくなった。こうして考えることも、書くことも、読むことも、与えられた器を使わないと成し…
精神と肉体の自己について、思慮を巡らせている。魂の自分は自由であるが、肉体という制限を与えられたことで、不自由な人間を生きなければならなくなった。こうして考えることも、書くことも、読むことも、与えられた器を使わないと成し…
分からない。執行草舟氏の「超葉隠論」を読了したものの、魂が粉砕した感覚しかなく、どう言葉にしたらいいのか分からないでいる。なんというか、凄まじかった。 今日はあえてこの粉砕した感覚を言葉によって修復することを試みないでお…
覚悟は言葉ではなく、行動によって認められる。 こうして毎日言葉を残すことに躊躇いを感じている。躊躇いを感じ、あるところでは言葉の節にあらわれる虚栄心に恥を認めながら、それでも言葉を残すことを選ぶ。言葉を残すことをやめれば…
幸せじゃないことも、一人ぼっちなことも、誰かに劣っていることも、才能がないことも、恥じる必要はないんだよ。本当に恥ずべきことは、命を燃やせないことだ。死ぬべきときに、死ねないことだ。 他人と勝負している暇なんてない。自分…
120日目。今日も書ける気がせぬ。何も書けないまま時だけが虚しく過ぎようとしているが、この記事を書こうとする私が向かう先が「死」であることだけは、はっきり分かる。 行動の帰結は死。何も書けずとも、私はただこの瞬間の命を燃…
私は自分のことをできの悪い人間、包み隠さずにいえば、愛のない人間だと思うことがよくある。人の為に労を買える人間を見ると、なんと器の大きな人間なのだと感服しながら、己の未熟さに嫌気がさすのであった。 私がかつ…
諏訪湖にて。苦しそうに走っている人を見て、本当に苦しそうだと思った。どこに向かって走っているのだろうと思った。これは私自身が、時折自分に感じていた「私はどこに向かって生きているのだろう」という不安に満ちた漠然とした問いと…
117日目は朝から何も書ける気がせず、ただ時間だけが過ぎてゆく。 毎日書いてれば、こんな日もあると思いながら、書くことにはエネルギーが必要だとつくづく思う。自分の内に凝縮したエネルギーを爆発させることが、書く行為において…
孤独に潰されそうになる中、「こういう時はいっそ自然に突っ込むべし」と人気のない静かな渓流まで来た。寂しさから逃れることもできた。でも、寂しさをいつまでも誤魔化してたら、ずっと死ねないままだ。 渓流までの道中…
放心状態とは、心を放つこと。心は平常時、出会うもの全てを自分の方へ吸収しようとする求心力が働いている。 それは「心の重力」のようなもので、出会うすべての人、景色、体験、感情、思考などを中心引き寄せようとする。しかし、この…