魂が死に行くならば、岩の上で眠りたい。[270/1000]
魂が死に行くならば、岩の上で眠りたい。 痛みとあれこそ草枕、凍えて丸まり陽を望む。 我が身体は粗野にして、大地に涙を流せよう。 孤独な時間はついに去り、世界に慈悲が降り注ぐ。 眼光は陽を貫きて、諸行無常の世に幸あれ。 &…
魂が死に行くならば、岩の上で眠りたい。 痛みとあれこそ草枕、凍えて丸まり陽を望む。 我が身体は粗野にして、大地に涙を流せよう。 孤独な時間はついに去り、世界に慈悲が降り注ぐ。 眼光は陽を貫きて、諸行無常の世に幸あれ。 &…
大車輪 大きな宇宙に生きていて、自分を見ていて何になる。 荒れ狂う濁流なくして、どうして生命を燃やせよう。 地上に閉ざされ、彷徨いながら、魂はどこに落ちている。 神はいるのかいないのか。自分は…
「運動律」という言葉に出会った感動をここに残したい。言葉の内に神秘的な響きを感じて、ここに続く言葉も何とも美しいものだったから。 以下は、関大徹という、はだしの禅僧と呼ばれるお坊さんの話。神経衰弱にかかった…
嘘だらけの世界に生きている。 道徳によって、世界の秩序は保たれているけれど、秩序に飲み込まれたとき、道徳は嘘っぽい生き方しか生まない。道徳や秩序は、時代に流れる濁流のようなもので、秩序正しく生きることは、濁流に飲まれ、流…
虚無に押しつぶされそうになっている。私の言葉など読むに値しない。私は言葉を書くにも値しない。弱るとこうした観念が一層強くなって、白紙の前に無気力に放心することしかできなくなる。それでも、毎日、書くことを規律として自分に課…
人に世話になるほど、生命が死んでいく感覚をおぼえるのは私だけか。 世話をしてくれるのは、私を愛してくれている人だから、こうした思念を抱えること自体、傲慢で、不義理なことであることは承知している。実際、かつて、病で寝込んだ…
信仰なしに生きられるほど、人間は強くないと思う。しかし、信仰をもつにも強くなければならない。人間は、弱い存在であることが、宿命であるようだ。だから、ドストエフスキーは、弱い人間の葛藤から生まれる、神はいるのか、神はいない…
世界は悪魔に支配されたと書いたその日に、自分の心に悪魔が住みついていることを自覚した。自分は汚れた心を持った人間だと悲しくなった。 その罰を受けるかのように、人に騙され、裏切られ、見捨てられ、あんなにも心を怒らせたり、悲…
まだうまく言葉にならないけれども、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟(上)」(新潮文庫)、イワンが弟のアリョーシャに語る、自作の叙事詩の一部を引用したい。 以下の叙事詩では、かつてキリストの信仰に生きた大審問官の老人…
岐阜県池田町のとあるお寺の前を歩いていたとき、お寺の前の掲示板に1つの語録が張り出されていた。 「命よりも尊いものがあるから、命の尊さが分かる。」誰の言葉かは知らないけれど、ずっと心に残っている。 百田尚樹…