正義を貫くことの本当の意味。徳を積み芯から人間を磨く生き方

 

「普段の生活の中で、どう徳を積もうか。」

最近、読書をしては、そんなこと考えながら生きている。

 

徳の中でも、『正義を貫くこと』について、重きを置いて考えてみたいと思う。

正義を貫くことって難しい。

だれしもが、多かれ少なかれ、勇気くじかれた過去を持っていて、

そのときの傷が、心をえぐればえぐるほど、正義を貫くことに怖気づいてしまう。

 

けれど、自己に誠実に生きようと思えば、正義を貫くことが必要だ。

 

「本当は正しくない」と思うことを、目をつぶって誤魔化せば、心に背徳感が残る。

それを繰り返せば、心は麻痺をし、徳のない人間となる。

 

「何も悪い事していないのに、なぜか心が晴れない」というのは、単純に徳行が欠けているからだろう。

幸せになろうとするより、徳を積むことを心がけたほうが、人は人間らしい道を歩める。

 

この記事では、新渡戸稲造の『武士道』をもとに、「義」と「勇」の徳に焦点をあてて、よりよく生きる道をまとめていきたいと思う。

 

 

1 正義を貫くことは自己中に生きることではない

正義とは、自分の正しいと信じる道を貫くこと。

正義は、他人への思いやりを含むもので、打算的なものではない。

 

新渡戸稲造の『武士道』においても、「義」における正しさというのは、明確に定義されていないが、

「サムライの規範の中でもっとも厳しい教え」、「素直で、正直な、男らしい徳行」、「人の正路」、「見失い者が見出すもの」であることは述べられている。

 

1つ言えるとすれば、「義」というのは、打算的や損得勘定を含まないということだ。

つまり、

  • 他人への思いやり
  • 慈悲の心
  • 愛情

を伴う道こそが、正義の本当の姿といえる。

 

昨今、正義を貫くことが、「自己中」と誤認されることがある。

これは正義が、打算や損得勘定を含んだ、独善的な「正義」と勘違いされるからだ。

 

例えば、世の中には「正義」の名を振りかざして、他人を制裁することに快感を覚えるだけの、偽物の正義がある。

  • 芸能人の不倫騒動に対して、これぞとばかりにバッシングをするネット民
  • 相手の言い分を、一切に聞き入れない、自己主張
  • マナーを破った人に対する、過剰なまでの誹謗中傷
  • 相手の弱みにつけこむこと

 

これらはすべて、他者への思いやりを欠いている。

自己陶酔的な、独りよがりな偽物の正義にすぎない。

 

慈しみの心を伴わなければ、「正義」は排他行為へと簡単に変わってしまう。

テロリズムのように、他者の心身を傷つける残忍な行為にもなりうる。

 

本当の正義は、愛に近づくものではないだろうか。

正義を貫いた先に、誰かと心を通わせられる瞬間が待ってるものなのではないか。

 

そんな体温のある優しさに、本当の正義は支えられていると私は思う。

 

私自身、こんな風に旅するように生きていると、人の優しさに触れることが多い。

昨日も、道の駅でウクレレを弾いていたら、ずっと聞いてくださっていた方が、遠くから「すごくよかったよ!」と声をかけてくれた。

 

知らない誰かに、思い切って声をかけることは、多少なりとも勇気がいる。

それでも、自分の気持ち(正義)に素直になるから、温かな出会いは生まれる。

 

正義を貫ける瞬間って、きっと日常にたくさん転がってる。

傷つくことを1つ1つ受け入れるたびに、1つ、また1つと正義は増えていく。

 

2 正義を貫くことに意味がある。

正義を貫くこと、そのものに意味がある。

傷ついても、自分を貫けたのなら、それでいいのではないか。

 

 

「幸せになろうとするより、徳を積もうとした方が、結果的に幸せになれるような気がする」のは、もちろん正義を貫くことに関しても同じ。

 

「幸せになろうとすること」ってすごく抽象的だ。

徳行を積むという具体に対して、すごくフワフワしてるから、漠然と幸せを追い求めても、軸がブレてしまう。

 

例えば、正義を貫いた結果、人に嫌われたとする。

 

徳行を積んだのだから、正義を貫いた信念や、勇気、正直さ、誠実さを少なくとも誇りに思うべきだ。

…..けれど、「徳を積む」ことに盲目的であれば

  • 正義を貫いて、徳を積んだことよりも
  • 人に嫌われてしまった事実

に自ら心を痛めてしまう。

 

余計に勇気がくじかれて、徳行から余計に離れて生きるようになる。

「傷つかずに楽して生きること」に道をつくり、結果的に徳行を避けるようになる。

 

もちろん、相手を不快にさせた「何か」に対し、反省の余地は残るけれど、徳を積んだという誠実さもまた誇るべき事実だ。

 

「徳を積む」ことって、見えないから蔑ろにされがち。

けれど、見えないのは瞬間だけで、歳を重ねるにつれて見えるようになるのだろう。

 

昨日出会った方も、すごくエネルギーに満ちて、光り輝いている方だった。

ウクレレや三線も弾くし、100kmのマラソンも走るような、何事にも挑み続けていらっしゃるお方だったけれど、きっと陰でも誠実に生きられてるのだと思った。

 

後述するけれど、陰徳は人を変える。

“たたずまい”だとか、”些細なしぐさ・ふるまい”、”表情”、”姿勢”、どれをとっても品の良さは陰徳に支えられている。

 

3 正義を貫くための勇気

正義を貫くのは怖いから勇気がいる。

義と勇は、武士道における双生児。

 

新渡戸稲造は、「義を決断する力として勇がある。」「勇気は義によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値はない」と言っている。

分かりやすく言うと、

  1. 正義を貫くには勇気がいる。
  2. 勇気は「義」を通すから価値があるのであって、「義」がなければ価値がない。

ということ。

 

勇気といっても一律に、価値があるわけじゃないって、すごく面白いよね。

もらとり
番長
ちなみに、命を軽んじて、名誉にならない死に方をするのは「犬死」と言われたらしいぜ。
もらとり子
死ぬときに死ぬべきであり、生きるときには生きろということよね!

 

価値のない勇気は「匹夫の勇(ひっぷのゆう)」と言って、深く考えずに血気にはやるだけの勇気のこと。

本物の勇気は、「大義の勇(たいぎのゆう)」と言って、思慮深く考えて、義を通すための勇気のこと。

 

そう考えると、正義を貫こうとするときに、

『本当にこの「正義」は正義なのか』

を問うことも必要なのかもしれない。

 

損得以上に、相手のことを心底想い、発せられる正義なのか問うてみること。

その答えがYESなら、自分も相手もきっと大切にできるのだろうし、NOなら再考の余地があるのかもしれない。

 

損得勘定がないということは、不合理であるということ。

自分が損をしても、己を貫くということ。

 

簡単にはいかないからこそ、徳行の先には、人間の美しさがあるのだと思う。

 

4 正義を貫くための陰徳

すべての徳は繋がっている。

陰徳を積むことで勇気を奮う。

 

さて、冒頭でも書いたように、誰しもが多かれ少なかれ、過去に勇気くじかれた経験を持つ。

「勇気くじかれた」のなら、「もう一度勇気を出す」ことが解決の道になるのだけれど、いつも直球にいくことばかりではない。

そこで、徳を積むことと同時に、陰徳を積むこと』をおすすめしたい

陰徳とは、漢字の意味の通り、『人に見られていないところでも善い行いをすること』を言う。

 

原田隆史という、「陸上の神様」と呼ばれている男がいる。

彼は、荒れた公立中学校に教員として勤務し、13回の陸上日本一に導いた伝説に残る人物だ。

 

彼は著書、「カリスマ体育教師の常勝教育」で、日本一の裏側に陰徳が語っている。

靴をそろえる、椅子を入れる、「はい」という元気な返事、清潔な身だしなみ、腰骨を立てた姿勢―。人間はこうした基本的な態度が身につけば、きびきびと行動できるようになります。

しつけに加えて、普段から清掃活動やボランティアにも取り組みます。社会の一員であることを強く自覚すれば、周囲の人々への感謝の心、他人を助け、思いやる気持ちがわいてくるようになります。そのときの心は澄んでいます。

 

原田氏の陸上部の生徒は、毎日家で、皿洗いを欠かさずに行っていたらしい。

熱が出て寝込んでいる時も、修学旅行で旅館にとまったときも、例外なく皿洗いをしていたというから驚きだ。

 

私はいま、公園で寝起きすることが多いのだけれど、朝の公園の出会いって特別。

  • 雨の日も雪の日も、30年間毎日、野良猫にエサをあげつづけたおばさん(虚勢手術もして管理人にも許可をとってやっているらしい)
  • 地元の公園をきれいに保ちたいという思いで、何年も掃除をしている2人組のおじいちゃん

 

彼らは、みずみずしいオーラをまとっていたのだけれど、それは長年積んできた徳に裏付けられたものなんだろう。

そんな彼らの出会いと、この本の出会いが重なって、私も毎朝小さな奉仕活動を心がけている。

 

不思議なことに、そんな些細な習慣を取り入れて、腰骨を立てて生活していると、清く誠実に生きようという気持ちになる。

徳目は繋がっているというけれど、それが肌で体感できる。

 

小善が慢心を解いてくれて、己の正義を貫く勇気を与えてくれる。

 

私自身、まだまだ修養の身だから、こんなことを言うのは憚られるけれど、

やってみると何かが変わることを体験できると思う。

 

心がすさんでいる人は特に。

だから、ぜひ興味のある人は、小さな陰徳を積むことを挑戦してみてほしい。

 

きっとすごく後味がいいから。

 

5 まとめ

お伝えしたかったことは、以下の5つ。

  1. 本物の正義は、他人への思いやりを含むもので、打算的なものではない。
  2. 結果がどうであれ、正義を貫くこと自体に価値がある。
  3. 勇気は「義」を通すから価値があるのであって、「義」がなければ価値がない。
  4. 陰徳を積むと、自信につながる。徳目は繋がっている。
  5. 己の正義が本物の正義か問い、誠実に生きよう。

 

P.S.

今も相変わらずテントを張って外で生きていますが、移動は休憩して、山にこもって生活しています。

働いて、とあることのためにお金を貯めています。(機が来たら報告します)

 

そんな生活を覗いてみたいなんて、風変わりな方がいらっしゃれば、是非おいでくださいね。

一緒に肉でも焼きましょう。

 

ではっ!

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ABOUTこの記事をかいた人

孤独が大好きで、24時間内省している人間。 「自分」を大切に生きることについて模索し、「自分」を生きることに全うしている1人の挑戦者です。 日々の学びが、誰かのためになればと思ってブログ書いています!