すべてのことは必要だから起きている。必要だから生きてる。[66/1000]

山形は鶴岡にいる。

新潟の田園地帯をさっそうと車でかけぬけて、日本海に沿ってず~っと北まで上がってきた。

 

風をなるべく感じたいので、車のクーラーはつけず、窓を全開にする。

それでも暑くて、背中や尻は汗でびっしょりになるが、こっちのほうが世界と繋がれている感覚があって私は好きだ。

 

汗をかかず、涼しい顔でいることは、クールかもしれない。

しかし、汗をたくさんかいた後、上裸で潮風を浴びて、水浴びをしていると、ワイルドな生きた心地がする。

 

私は汗をかくことが好きだ。汗は天然の美容液で、かつ身体から毒も出してくれる。汗をかくと気持ちが晴れる。

涼しい所にいれば、汗をかくことを避けることもできるが、汗をかかなければ、身体は自然の働きを失って、損をすることのほうが多い。

 

春夏秋冬のうち、夏くらいはちゃんと汗をかくことが自然な気がする。

日本人は、四季と生きてきて、夏にたくさん汗をかくことで、1年間の体内の周期バランスのようなものをとっていると思う。

 

同じ栄養価でも、オートミールより玄米を食べた方が私は元気になる。それは日本人の私にとって、米のほうが身体に合っているからだろう。

生まれ育った自然や土地の性質や、周期の影響を受けながら、私たちの身体はできあがっている。

 

だから、いい汗を流そう。いい汗流して、元気に過ごそう。

もちろん、汗をかいたときは、水を飲むことと、塩をなめることは、くれぐれもお忘れなく!

 

 

朝起きたら、何の脈絡もなく、「すべてのことは、必要だから起きている」と思った。

真実は違ったとしても、そう思ったほうが、世界が自分の味方になってくれるような気がした。

 

ちゃんと眠れていなければ、朝起きても、眠たい。眠たい気持ちは、身体がもっと休むことを必要としているから起きている。

身体から毒を外に出すために、排泄が行われる。排泄が間に合わなければ、血が汚れ、汚れた血を浄化するために、身体は病気を必要とする。

 

身体は必要なことだけを起こして、不必要なことは起こさない。

私はこの人間の身体の、無駄なく、自分をいい方向に助けようとしてくれる神秘的な力に、いつも感動する。

 

 

寂しいという気持ちは、人の温もりが必要だから起こる。

苦しいと感じるのは、ちょっと頑張りすぎていない?と自分を労うために起こる。

 

何かを大好きになるのは、大好きなもののおかげで、私たちが元気になれるからだ。

当たり前のように、今日も太陽が昇って、私たちは今日を生きている。

 

それすらも、必要だから起こっている。

 

 

私たちが今日生きているのは、どんな必要があるのか?と問われれば、今の私は、はっきり答えることができない。

スピリチュアルの世界には、答えがありそうな気がするが、必ずしも答えを出すことだけが、人を救うとは限らない。

 

人に差し出された答えは、自分が腹の底から納得できなければ、猜疑心を生む。

目に見える答えにしがみつくのは安心だが、矛盾が生じたときは、答えに縛られてしまう。

 

探す必要のない答えもある。

答えを探さないことは、生きることに不誠実になるということではなく、祈りを大切にするということだ。

 

今日も太陽が昇って1日が始まることや、今日自分が生きていることは、ただ必要だから起きている。

なぜかと問えば、私は迷子になる自信しかない。

 

だから、すべては世界が自分の味方になってくれていると、ただ祈る。

今日もすべてが、必要だから起きていて、必要だから生きているのだと、ただ信じる。

 

それで勇気をもって、今日を生きられるなら、答えを探さないことも、決して悪いことではないと私は思う。

 

今日も太陽が昇って、今日、私たちはここに生きている。大きな自然の中に生きている。

私は今日をただ元気に生きることだけに精一杯だけど、元気に生きられたら自然と命をまっとうできるから、やっぱり元気に生きたいなと思う。

 

山形の海の風は、とても冷たくて気持ちがいい。

夏も終わりが見えてきた。さあ、もう少しだけ、この暑さをいきよう。

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