笠置山での山ごもり生活。1日1食、かぼちゃと玄米で過ごして4日目となる。
心のデトックスが始まった。次から次に弱い自分が出てくる。特にひどいのが食欲で、あれも食べたい、これも食べたい、と身体が悶え苦しんでいる。今朝、展望台まで歩いていく途中に、黒いジープが一台止まっていた。フロントガラスに、板チョコが置いてあって、窓は半分空いている。
「窓から手を入れたら、チョコレートを取れるかもしれない。」
そんなことを考える自分がいた。置いてあるのが、財布だったら何も思わなかっただろう。食べたくて悶え苦しんでいる今のチョコレートだったから、魔が差しそうになったのだ。
いかんいかんと我に戻り、再び歩くことに集中したが、私は人間の食べ物の味を知ったクマと同じだと思った。味を知ったクマは、人の食べ物を再び得るために、繰り返し人を襲うようになる。クマも、人の食べ物の味が忘れられなくなるのだ。忘れられなくて、我慢できなくて、人を襲撃するのだ。
人間に与えられた理性はすごい。この理性のおかげで、私はチョコレートのために車を襲撃しなくてすんだのだ。
野性でありながらも人間でいるぞ。
人間の食べ物の味を知った熊は、人間の食べ物を食べられずにはいられなくなるのだろうか。
山ごもり3日目にして、蒸しパンと煎餅と寿司と肉が食べたくて、苦しんでいる。
味を知らなければ苦しむこともないと思うと、なんだか熊に似てるなぁと思った。全部、過去に自分が蒔いた種なのかな。
— 内田知弥(とむ旅, もらとりずむ) (@tomtombread) September 30, 2022
精神修養 #13 (2h/38h)
3日目の夕にして、弱い自分がどんどん出てくる。さつま芋の入った甘い蒸しパンが食べたい。パリッとした塩辛い煎餅が食べたい。寿司が食べたい。肉が食べたい。
もう山から下りてしまおうか。下りてしまえ。こんなことしてても意味がない。もう辞めてしまえ。どうせうまくいかない。
次から次へと、弱い自分が出てきては弱気な言葉をぶつけてくる。右胸の奥が痛い。これらはすべて、クマが人間の食べ物の味をおぼえてしまったように、過去に自分で蒔いた種なのだろう。
何度も弱い自分に飲まれ、気持ち悪さに反応して目を開けてしまった。その都度、目を閉じて、再び呼吸に集中する。
どれだけ飲まれても、今ここの呼吸に集中すると、すべては心が作り出した幻であることが分かる。ひらすら呼吸に集中して、ただ反応しないように努める。ただそのままを観察する。
それにしても、やっと山ごもりらしくなってきたじゃないか。とりあえず、3日目を生き切った祝福に熱々の珈琲をいただこう。
弱い自分が続々と出てくる今は苦しいが、それ以上に、自分がどうなっていくのか、好奇心の方が勝ってる。
何かを食べたいという気持ちは、毒出しの前兆にすぎない。美味いものを食べたいという渇望は心の一番浅い部分、表面上にあって、それが今、剥がれてきている感覚がある。
4,5年前、瞑想合宿に参加した時は、毎日のように唐揚げ定食を食べていたので、最初の2,3日は、唐揚げが食べたくて悶絶していた。(ホームシックも似たようなもの)
人には短期記憶と長期記憶があるように、心にも浅い癖や深い癖があって、習慣に馴染んでいる浅いものから表面化する。表面化した癖に反応せずにいると、自分の弱さがあらわれる。
「もう山を下りて楽になっちまえよ。1時間も車を走らせれば美味いもんが食えるぞ」と心がささやく。「お前はダメな人間だ」「お前は何もできない人間だ」と自己攻撃も始まる。心は美味いものを食べないと気がすまず、あらゆる口実を生み出し、私を山から引きずり降ろそうとする。
おもしろくなってきた。どうして山ごもりをしているかといえば、こんな弱い自分を表に引っ張り出して、性根を叩き直したいからだった。だからこうして弱い自分が出てくると、山に来たかいがある。弱い自分を出すから強くなれる。食事と同じ。ウンチを出さなきゃ、どれだけいいもん食べても、身体はよくなっていかない。
弱き自分よ、どんどん来るがいい。オレは食料か電気が尽きるまで山からは下りんぞ!
山ごもり3日目。弱い自分がどんどん出てくる。
山ごもりをしているのは、こうして弱い自分を表に引っ張り出して、性根を叩き直したいからだった。身体の健康には入れるだけでなく出すことも同じくらい大事であるように、心についても弱い自分を出すから、一皮むけていく。https://t.co/rePWZnYJEq
— 内田知弥(とむ旅, もらとりずむ) (@tomtombread) October 1, 2022
山ごもり生活はつづく!
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