宇宙に憧れつづけている。昨晩布団に入りながら、三島由紀夫の「美しい星」を読んでいると、眠りにおちようと意識が薄れかけるその瞬間に、宇宙に到達したような感覚を味わった。夢のなかで、宇宙空間をふわふわと漂いながら、青い地球を眺めていた。しかし、(うまく言葉にならないが)なにかに制限されているようで、”超えられなかった”という感覚があった。物質感覚の強まる今、この真意は思い出せないから、触れるのはここまでにしよう。ただ、こうした経験は1年前にはなかったことを思うと、魂の宿る本を読み込むにつれ、垂直方向の感度はますます研ぎ澄まされていくのだと、私の確信は高まるばかりである。血が流れ、川の水が流れるように、生命と宇宙の間を流れるエネルギーを強く自覚するのである。
“混沌が肚に落ちるのを感じよ。肚に落ちた混沌をそのまま言葉にせよ。”と、夢のなかの自分が何かを掴んだ。色んな本や映画に触れるが、垂直感度がないからか、分からないことが多い。おととい「銀河鉄道999」を観て大変感動した。1年前と今では、まったく別の映画に映っただろうと思う。魂を知覚できるようになってきたが、そのもっとも純粋な部分になるほど分からないことが多い。ボードレールの「惡の華」を読んでもさっぱり分からない。しかし、分からずとも、混沌のまま肚におちているという感覚を、少しずつ得ているのである。それがほんとうに分かるときとは、それ相応の尺度を得た時であろう。そこにたどりつくためには、何よりも宇宙への憧れを抱きつづけることであるし、魂の書に触れつづけることはもちろん、健気に汗を流し、無心に労働に励むことだと思うのである。
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