ヒグラシの声で目が覚めたのは初めである。ヒグラシは、黄昏に鳴くイメージが強いが、薄明るい朝の時間帯にも鳴くのである。大体の場合、小鳥の声で目が覚めるが、日によって小鳥の合唱にも大小があるのである。森にきて最初の頃に、盛大な大合唱で気持ちの良い朝をむかえたものだから、ついそれと比較して「きょうは元気がないな」「きょうは数が少ないな」と思ってしまう。友はどこかへ旅に出てしまったようで、少し淋しいものである。
雨降る今日は、労働することもなく、朝からぼんやりと雨にうたれる草木を眺めている。この自然のなかに永遠、すなわち死を感じるとき、執着をほんの少し手放せたようで、焦りや怖れといった付き物が、心から離れていくようである。この1000日投稿がどれだけ読まれているのか、つい2週間くらい前までは毎日確認していた。それをやめたときから、見栄というものも少しだけ手放せたようで、言葉が地に足を着けた感覚が増した。しかし、それでも読んでいる者は、一人か二人くらいはいるだろうと頭は考えるようで、完全に見栄を捨てることはできないのである。
自分を誇大に着飾ることは、自分を偽り、かえって自分を情けなくするが、多少の見栄はいいものと考えようと思う。なぜなら、やせ我慢であったり、男の意地であったり、情けない姿を見せられないというプライドこそが、自己を鍛錬するものと信じるからである。やせ我慢や、男の意地や、プライドがなければ、1000の境地まで、自分を奮い立たせることはできなくなるのである。
私は、かつてアフリカで誕生した人類が、太陽を求めて東にやってきた、という説を信じる。食料を求めて東にやってきたという説は、あまりにも現代の物質的思考に染まりすぎていると思うのだ。もし私がアフリカに誕生した人類の一人だったとしたら、まちがいなく、太陽を追い求めつづける。今よりもはるかに純粋な魂を持つ古代人が、太陽を追い求めないはずがないと信じるのである。
太陽は宇宙のはるかかなたにあると科学的に分かった今も、本質はちっとも変わらない。私は今日も、その遠い憧れに向かいつづけているのであるし、日々の言葉は永遠へと向かう舟の一部となって、私をそこに運ぼうとしていると堅く信じるのである。
また、太陽を追い求めつづけ、日本までたどり着いた我らが祖先は、それだけ崇高な精神をもっていたのだし、その遺伝子が偉大な武士道を生んだことは、歴史の必然であったと信じるのである。その末裔として、生きているのである。今日も、太陽を追い求めつづけるのである。
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