本当に捨て去ったものは、決して思い出されることがない。思い出されるかぎりは、捨て去ったようで捨て去っていないのであって、場合によっては、幼少の頃の母との記憶のような、この上なく尊いものを、知らぬままずっと握りしめて生きているのかもしれない。
一度手にしたものを簡単に捨て去ることができないのが、人間の情の厚さであり脆さである。ふとした拍子に手が開かれると、思いがけない尊さに歓喜で息が詰まりそうになり、同時に儚い宇宙の美しさと残酷さに胸が引き裂かれそうになる。本当に愛しているものほど、決して手放すまいと、今日までずっと、堅く握りしめていたものだとしたら、どうしてそれに気づけよう。
爪が手のひらに食い込んで、血塗れになれば痛いのだ。憎しみだと思っていたものも、実は時間を必要とするだけで、どんなものであれ一度握りしめたものは、生命的には愛なのかもしれない。もしそうなのだとしたら、人間とはなんて傲慢な存在で、母なる愛はなんと大きいのだろう。
静かにそっと手を握ることこそ忍ぶ恋。現実のものにしたい卑しさが、欲望を駆り立てる。しかし、絶対に超えてはならない一線がある。これはその類の問題だ。悪魔の囁きで一線を超えれば、きっと破滅へと向かうに違いない。あるものは故郷の地で土に還り、あるものは無垢のまま宇宙の風に乗っていくのだ。すべては永遠に還り、魂は救済されていく。
魂が死に行くならば、岩の上で眠りたい。
痛みとあれこそ草枕、凍えて丸まり陽を望む。
我が身体は粗野にして、大地に涙を流せよう。
孤独な時間はついに去り、世界に慈悲が降り注ぐ。
眼光は陽を貫きて、諸行無常の世に幸あれ。https://t.co/mOOFTYLmeB— 内田知弥 (@tomtombread) March 16, 2023
コメントを残す