「こうあるべき」の心理に苦しめられてない?自分を解放せよ!

とむです。”こうあるべき論”に長いこと消耗していました。

 

  • 絶対に弱みを見せないべき
  • 常にがむしゃらに頑張るべき
  • いつも笑顔でいるべき
  • いつも人に優しくするべき
  • 常に女性をエスコートするべき
  • 夢を追っかけるべき

 

今の日本って、「こうあるべき」であふれていますよね。

 

職場で、「こうすべき、ああすべき」うるさく言われ

帰宅してSNSを開いても、「こうすべき、ああすべき」

気づけば、自分自身も「こうすべき、ああすべき」

 

とむ
あ゛ーーーーもう、うるさいいい!!!

 

って本当にうんざりしませんか(笑)

 

「こうであるべき」って適度であれば効果的ですが、度が過ぎると心が消耗します。

ボクはもともと自分に厳しいタイプなので、気づけば度が過ぎてるなんてこと今もあります。

 

  • 「今の自分はダメ!」
  • 「こうである自分はオッケー!」

 

って言っているようなものだから、気づかないところで自分に負荷がかかってるんですよね。

 

ここでは

  • 「こうあるべき」に隠れた心理
  • 「こうあるべき」をやめるにはどうすればいいか

をまとめていきます。

 

 

1 「こうあるべき」は鎧を身にまとうこと

「こうあるべき」の考え方は

『鎧を身にまとう』

ようなものだと思います

 

人が「こうあるべき」の考えを持つのは、「こうではない自分」は脆弱だから。

つまり、自分を守るためです。

 

  • 仕事で失敗しないため
  • 上司に怒られないようにするため
  • お金に困らないようにするため
  • 「成功」するため
  • 人に嫌われないようにするため

 

こういったシチュエーションは、無数にありますが、どれも自分を守ることを前提としていますよね。

 

「鎧を身にまとう」という例えが、ドンピシャなのには他にも理由があって、

  1. 自分の身を守るために鎧は必要だけど
  2. 鎧をまといすぎると、重くて苦しくなる

という特徴があるからです。

 

冒頭でも少し書きましたが、適度な「こうであるべき」は悪いものではないとボクはおもいます。

自分の成長に必要だからです。

 

けれど、「こうであるべき」の鎧は抱えすぎると、本当に苦しくなる。

10枚も20枚も鎧でガチガチに固めたら、もう身動きなんて取れなくなります。

 

30枚も、40枚も鎧で固めたら、圧迫死です。

“完璧主義”って要はそういうことですよね。

 

2 「こうあるべき」の心理は「こうでない自分はダメ」の裏返し

「こうであるべき」の正体をもう少し深くみてみましょう。

「こうあるべき」の心理の裏には

「こうではない自分はダメ」

という自己否定が隠れています

 

例えば

  • 『人は努力するべき』の裏には『努力しない人はダメ』が隠れていますし
  • 『挨拶はちゃんとするべき』の裏には『挨拶をしないことはダメ』が隠れていますし
  • 『いつも明るくいるべき』の裏には『暗い自分はダメ』が隠れていますし
  • 『人前では弱みを絶対に見せないべき』の裏には『人前で弱みを見せることはダメ』が隠れています

 

とむ
まさにコインの表と裏の関係だね

 

自己否定といっても、それがいつも表に出てきているわけではありません。

  • 「こうあるべき=自分の行動」と一致していれば、自己否定におちいることはありませんが
  • 「こうあるべき≠自分の行動」と一致しなくなったときに、自己否定は起こります

 

例えるなら

  • 前者は鎧を身にまといながらも身軽に動ける状態
  • 後者は鎧を身にまといすぎて動けなくなった状態 or 体調不良で身体が重くて、いつもの鎧でも動けない状態

ですね。

 

もし「自己否定に陥っているな~」と感じたときは

自分のどんな「鎧」に苦しめられているのかな~

と内観してみてください

 

3 「こうであるべき」ものの多くは、不必要なもの

可能ならその鎧を、思い切って脱いじゃいましょう。脱いだら脱いだ分だけ、身軽になりますよ!

「こうであるべき」を捨てたいと願うも、簡単にその鎧を脱ぐことができないのは

自分が心のどこかで、まだその鎧は必要なもの

だと思っているからです

 

ただ、ボクたちは不必要な鎧すらも、必要だと思い込んでいることが多々あります。

 

例えば、ボクが脱ぎ捨てた鎧の1つに「人の前では明るく振るまうべき」「会話を盛り上げるべき」というものがあります。

この鎧は、ボクが小学生のときに、テニスコーチから怒られた経験から、身にまとうようになったものでした。

 

この鎧は22の歳まで、ずっとボクの身にまとわりついていました。

人の前では常に笑顔で明るく振舞って、常に話題を振るので、出会う人ごとに「さわやかな人だね」と言われました。

 

ただ、本当に窮屈でした…。

そんな感情を抱えている自分に、22の歳で気づき、始めてこの鎧を脱ぎ捨てることができました。

 

今では、無理に自分を取り繕うことは、ほとんどしていません。

他人に左右されることなく、自分を大切にしています。

 

ボクは「人の前では明るく振るまうべき」「会話を盛り上げるべき」という鎧を、自分にとって必要なものだと思っていましたが、この鎧が必要だったのは、恐らく小学生か中学生まででしょう。

 

ずっと必要のない鎧を、必要なものだと錯覚して、自分の重しにしていました。

 

人が抱えているは「こうであるべき」は

  • あったら身を守れるかもしれないけど
  • なくても、傷つかないかもしれないもの

も結構多いんですよ!

 

そして、それが本当に必要なものなのかどうかは、鎧を思い切って脱いでみないとわかりません。

 

もしあなたが「こうであるべき」が原因で、苦しい思いをしているのであれば、

思い切って鎧を脱いでしまった方が自分を大切にできるのかもしれません

 

とむ
大きな鎧であればあるほど、脱いだら身軽になるよね

 

4 「こうであるべき」をやめるには

「こうであるべき」の鎧を脱ぐには

  1. 自分が身にまとっている鎧に気づく
  2. 気づいた鎧が必要かどうか検討する
  3. 鎧を脱いでも大丈夫なことを体験する→体験を通じて自分を許す

の3つのステップがあります。

 

順番に説明していきますね。

4.1 自分の「こうであるべき」に気づく

自分の身にまとっている鎧は

他人の許せないところ

から探ることができます

 

他の人を見たときに、「許せないこと」ってありますよね。

これは、心理学でいう「投影」というものですが、他人に対する「こうであるべき」=自分に対する「こうであるべき」と考えて間違いありません。

 

例えば、電車でマナー違反をしている人にイラついたとします。

「人には迷惑をかけないべきだ」というべき論ですね。

 

このとき、他人に対する「こうであるべき」=自分に対する「こうであるべき」なので

自分に対しても「人には迷惑をかけないべきだ」という鎧を身に着けているといえます。

 

誰かにイライラしているときや、誰かを否定したくなったときに、

その背後には自分への否定があることを覚えておくと、自分がまとっている鎧を見つけることができます。

 

といっても、内観していないと、そんな自分に気づくことは難しいので、

内観することに自信のない人は、書くことをしてみてください。

 

 

4.2 本当に「こうであるべき」なのか検討する

「こうであるべき」を捨てるのは

自分にとってマイナスに機能している

と感じている時だけで大丈夫です

 

見つけた鎧はあなたを苦しめていないかを基準に考えてみてください。

 

ポイントは

  1. 「こうであるべき」じゃない自分がいたら、何が起こるのか?
  2. 本当にそれが起こる根拠ってあるの?

と考えてみることです

 

この2つをやってみるとわかるのですが、「こうであるべき」は昔の経験から作られた思い込みであることが多いんですよ。

 

【例:人に迷惑をかけないべきだ】

『もし人に迷惑をかける自分がいたら、何が起こるの?』→人を嫌な気持ちにさせる

『人を嫌な気持ちにさせてしまう根拠は?』→…….あれ…ないかも…?

 

4.3 「こうであるべき」をやめてみる

「こうであるべき」を捨てるには、

「鎧を脱いだ自分」を実際に体験してみること

がいちばんです。

 

ある経験をもとに、鎧を身に着けることを始めたわけですから、実際に経験して

「もう鎧を脱いでもいいんだよ~」

ということを、経験を通じて理解しましょう。

 

つまり、体験を通じて鎧を脱ぐことを許してあげるということですね。

 

シンプルですが、本当にこれだけです。

ちょっと勇気を出して、「鎧を脱いだ自分」を生きてみてください。

 

行動するときのコツは

  • 役者になったようなつもりで
  • あたかもそのように振舞う

ことです。

 

やっぱり最後は、行動を通して体験しないと、人は変わりませんからね。

 

5 誰かに「こうあるべき」を押し付けられても気にしなくていい

自分が、鎧を脱ごうとしていると、

誰かに「こうであるべきでしょ!」と押し付けられる

ことがあります

 

もし、そんな人に会っても…..

 

 

気にしなくて大丈夫!

 

 

とお伝えしておきますね(笑)

 

これはボクが学校で働いていた時に感じたことですが

古い体質が残る組織って

経験が浅くて自信のない人が、経験が多い人の「あるべき論」に振り回されて消耗している

と思うのです

 

5.1 誰かの「こうあるべき」はあなたの「こうあるべき」ではない

誰かに「こうであるべき」と言われたときは、鵜呑みにしなくても大丈夫です。

その理由は

誰かの「こうあるべき」はあなたの「こうあるべき」ではないから

です

 

もうクドイくらい言われていることですが、

一昔前までは、人生の幸せの形が、ある程度決まっていましたよね。(良い大学に入って、安定した会社で働いて、結婚して、マイホーム買って….)

今は、情報革命で価値観が一気に多様化して、幸せの形も人の数だけあるようになりました。

 

 

「こうあるべき」って何かしらの正解を前提としたものです。

今はその前提が崩れているのだから、誰かの「こうであるべき」は、あなたにとっての「こうであるべき」ではないこともあるのです。

 

正解があるとしたら、「誰か」の中ではなく「自分」の中です。

 

だから

他人にあまり振り回されなくていいよ

ということです。

 

鵜呑みにするんじゃなくて、先ほどのワークみたく、自分で自分に必要かどうか問いかけてみてください。

 

もし、他人の「こうあるべき」に振り回されてしまう人はこの記事を読んでみてください。

 

6 まとめ

ここでお伝えしたかったことは、次の3つです。

  1. 「こうあるべき」は自分を守るための鎧だけど、着すぎると苦しくなるよ!
  2. 「こうあるべき」の鎧には、思い込みがたくさん含まれてるよ!
  3. 「こうあるべき」の鎧は勇気を出して脱いでみると、身体が軽くなるかもよ!

 

ボクもまだまだ、たくさんの鎧を着ているので、1つずつ脱いでいきます!

ではっ!

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