こうして私は、私の子どもたちのほうへと行きつ戻りつしながら、自分の仕事の真っただ中にいる。自分の子どもたちのために、ツァラトゥストラは自分自身を完成させなければならない。
というのも、ひとが心底愛することができるのは、自分の子どもと仕事だけだからだ。そして、自分自身への大いなる愛があるとすれば、その自己愛は、妊娠した徴候なのである。
ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」
外壁と屋根が完成した。杉板は手焼きしているものだから、ずいぶん焼き具合にはむらがある。写真で見ると焼き入れが甘い部分がよく分かるが、これも手造りの醍醐味、味の一つということにした。無論、ちゃんと焼いているほうが雨には強い。焼きが甘ければ腐朽も早まるが、1枚240円の杉野地板である。ボロくなれば張り直せばいい。風によって朽ち滅びゆく、それこそ永遠の家であろう。
ひとが心底愛することができるのは、自分の子どもと仕事だけだと、ツァラトゥストラは言う。仕事に向けられる情は男のほうがずっと高く、子供に向けられる情は母親のほうがずっと深い。男が仕事に夢中になるのは、そこに情があるからである。仕事ばかりで家庭を顧みない男は時代の洗礼を受ける。だが、家庭に迎合する男に、野性の香りはあるだろうか。男の魅力はあるだろうか。
仕事によって世界を愛し、子どもを通じて世界を愛するのは、人間の義しい姿に思える。愛する対象を間違え、自己愛に偏れば、かえって世界を愛せなくなる。仕事は罰となり、子供は虐待の対象となる。自然の破壊、文化の破壊、政治家の横暴も、かくして引き起こされているのではないか。
自分を愛するのではない。隣人を愛そうとするのでもない。愛も義も、自らを捧げた結果、自ずと血肉に養われるものである。自分を信じることもいらない。他人を信じる必要もない。自分よりも大きな存在、自然と太陽を信じることである。日照りに焼かれ、吹雪に凍えても、生かされた結果である。
2025.1.15