憧れに殉ずる覚悟[913/1000]

「二つ二つのうち早く死ぬ方に片付くばかりなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。」

 

決断を迫られる度、葉隠の言葉を思い起こしてきた。早く死ぬ方はどちらであるかと。だが、どうも私は頭が大きすぎるようで、死ぬ方はこっちだと直感が働いても、最後の最後には両者を天秤にかけ、現実的な落としどころに片付いてしまうばかりである。たとえば、どちらの山に家をたてようかと思ったときだって、一方は人が踏み入ることも大変な深山、もう一方は、車の乗り入れができて、町にもすぐ買い物に行ける森林だった。どう考えたって、早く死ぬ方は前者である。だが私は後者を選んだ。死ぬ覚悟がないばかりに、適当な理屈で、卑小にも自分を納得させて。

 

こたびの家づくりにおいても、幾度も決断を迫られる。だが、変わらず私は即断ができぬ。結果的に死ぬほうに片付いたように見えても、実際は、両者を天秤にかけた結果、たまたま理がそちらに傾いただけである。これは死ぬ覚悟の断行ではない。葉隠の決断は、もっと直線的で清々しいものである。隆慶一郎の小説に登場する葉隠武士のように、たとえ相手がお偉いさんだろうと、殿様が侮辱されたときには、一瞬のうちに刀を抜き、相手を斬るのである。その結果、切腹を命じられることになっても、既にその覚悟は坐っているのである。

 

決断とは覚悟のことだと分かる。だが、私には覚悟が足りない。それだけである。”死ぬ覚悟”のような無理強いではない。この世に授かった大切な命を、どうして易々と捨てられようか。そうでなく、憧れに殉ずる覚悟である。自分よりも崇高な何かのために、生きたいがため死ぬのである。そうでなくては。二つ二つのうち、どちらが憧れに殉ずることができるか。死ぬため=生きるために、その覚悟を据えるのである。

 

2024.12.20