日常性と非日常性が交わる一点において、肉体は赦され魂は救われる。②[908/1000]

日常性と非日常性が交わる一点において、肉体は赦され、魂は救われる。たとえば、澄明な朝、空を仰ぎながら散歩して、神社にお参りする慣習がそうである。もしくは、鮮烈な夕陽を眺めながら、世界の美しさに酔い痴れる瞬間がそうである。ボロボロの書物をひらき、祈りを捧げる瞬間がそうである。非日常性は美しく、傷ついた肉体の存在を赦し、肉体のなかに忘れられた魂を震撼させる。

だが、行き過ぎても肉体は置いてきぼりになる。出家した座禅僧ではないのだから、力を断行することによって、生活を築く必要がある。労働はいい。心が怠けると、働くことが億劫になることもあるが、ほんとうは苦しい労働ほど、肉体にとっても魂にとっても、ためになっている。

その辺のバランス感覚が崩れると、醜悪にもなるし、浮世離れしすぎる。真に追い求めているものは、日常のなかの非日常性、もしくは、非日常のなかの日常性にある。懸命に生きる日々のなかで、そんな瞬間に仕合せを感じるのだ。

 

2024.12.15