森を歩くと、凍った土がバリバリと音を立てて砕けていく。氷点下の日がつづき、生活に不都合が生じてきた。汲んできた湧水が凍って、飲むことができない。ガスコンロが気化して料理ができない。バッテリーも放電し、電気が底を尽きた。科学の上に築かれた日常は、街のほうでは機能しても、森の中では不甲斐ない。
それでも、マッチで火を焚きつければ、薪は燃えて、大きな熱となる。料理もできるし、氷を溶かして水も飲める。電気が底を尽きたときには、生きていけなくなるんじゃないかと不安になるが、生活のすべてが失われるわけではない。熱があれば人間は生かされる。生活は自然と同じ高さに戻るだけだ。直接的な、素朴な生活であるが、そんな生活に密かに憧れを抱く人間は少なくない。
少年は樹上の家を夢見て、少女は人形の家に夢を見ると、あるアメリカの建築家は言った。憧れはいつも素朴である。それが不便だからと非日常にしてしまうことを私は好まない。生と死が交わる一点は、非日常性な憧れを、日常の上に築き上げるところにあるだと感じるのである。日常を日常に、生に閉じこもることを、魂は望まないのである。
2024.12.13