農家で世話になり、人間は自然と一つであるという、日本人的な感覚が改めてよく分かるようになった。夏は汗を流しながら野菜を収穫する。冬は寒い思いをしながら来年の準備をする。冷暖房の完備された室内で、夏も冬も変わらぬ仕事をするのではなく、吸っては吐かれる自然の呼吸のなかで、天候とのせめぎ合いにもまれながら、人間の生活が成り立っているのである。自然を制服すること、つまり、自然から自分たちの暮らしを切り離して、自然とは別に人間の王国を築くこともせず、家は夏を旨としてつくり、夜は吹き抜ける風を感じながら蚊帳で眠り、冬は寒さを耐え忍んで暮らしたのである。朝から晩まで、ひとときも自然と切り離されることがなく、常に天地と共にあったのである。
われわれが日本人であるかぎり、魂を取り戻すとき、自然との融合を経るはずだ。日照りに焼かれ、大雨に涙し、嵐に祈り、己の存在の小ささに苦悩し、八百万の神に祈りを捧げるはずだ。武士道。これは日本人の高貴だ。だが、自然に仕えよく働いた百姓もまた、われわれ日本人の誇るべき道である。