日が暮れて、世界が闇に包まれると、外に出るのが怖くなる。だが、森から街へ抜け出してみれば、道路は当たり前のように車で溢れ返り、店は人で賑わっている。そりゃそうだ。時刻はまだ18時をまわったところなのだから。だが、灯りのない森のなかで、太陽の出没とともに生活していると、文明社会と己との間に一線が生まれてくる。私にとって、”18時はまだ夕方である”という時間概念はない。たとえ18時でも、陽が暮れてしまえば夜である。私には、”昼があるか夜があるか”だけである。そして、夜がやってきたのなら、おとなしく家にこもるのである。なぜなら、夜の森は危険だからだ。生命が危険を察知し、身を守るためには外出してはならないと告げるからである。文明は自然を制服したが、私はいまだ自然の僕にある。ある種の信仰だといっていい。太陽を中心にした、日本の自然信仰である。
似た感覚として最近湧き起こるものがある。冬を前にして食料を備蓄しなければならないという気持ちにさせられる。令和の似非米騒動を受けて、玄米は常に10kg備蓄することを肝に銘じるようにしたが、冬を前にすると冬を越せるだけの米が必要だという気持ちになる。何が起こるか分からない。雪が積もれば、街に買い物にいくことができなくなり森に隔離される。文明と己の間に引かれた一線によって、常に自分の身を守るための手立ては打っておかなければという考えになる。加えて、昨今の世界情勢である。戦争が起これば、今度こそほんとうの米騒動になるやもしれぬ。生命の野性にしたがいながら、制服も克服もできぬ世界を、生き抜いていかねばならぬ。
2024.11.23