冬の訪れがどうしてこうも怖いのか[871/1000]

ああ、熱が奪われる。冬の訪れがどうしてこうも怖いのか。11月、北国の熊は冬眠に入る。十分な栄養を蓄えて、約半年間の眠りにつく。昨年の今頃、私もまた冬眠に入った。完成した森小屋にこもり、薪ストーブの炎に身を寄せながら、じっと読書と思索の日々を過ごした。それが冬眠であろうとも、眠りは幸福そのものだった。

冬眠に失敗した熊を穴持たずという。十分な栄養を蓄えることができず、適当な穴を見つけられなかった熊は、冬の間も山をさまようことになる。多くの場合、十分な餌にありつけず、体温を保つためのエネルギーが足りなくなり、凍死すると言われる。穴持たずの熊が怖ろしいと言われるのは、生きるための熱を確保するため、死に物狂いで餌を探し求めていることだ。そこにばったり遭遇すれば、人間にとって悲惨な事件も起こりうる。だが、すべては生き抜くためである。文明の無気力も悪意もなく、生命の野性と力だけがある。

 

もう何年もずっと、私は冬が怖くてならない。油断すれば凍え死ぬぞと、生命が警鐘を鳴らし続けている。その点、家を持たぬ私の感性は、文明人より野生の熊に近い。冬眠につける安心と歓びを感じれば、冬眠に入れぬときは不安と恐怖でいっぱいになる。そして今年、ついに森は氷点下を迎えたが、小屋づくりのほうは、まだ基礎すら完成していない。臆病者だと嘲るがいい。だが、冬を目前にして、気を張らねば今にでも怖れにやられてしまいそうだ。

無論、こんなところでくたばるものか。恩と約束のため、なんとか士気をあげて、小屋づくりに邁進せねばならん。

 

2024.11.7