心臓だけはくれてやるものか。[815/1000]

常住死身になることよって自由を得るというのは、「葉隠」の発見した哲学であった。死を心に当てて万一のときには死ぬほうに片づくばかりだと考えれば、人間は行動を誤ることはない。もし人間が行動を誤るとすれば、死ぬべきときに死なないことだと常朝は考えた。

三島由紀夫「葉隠入門」

 

割った薪はすぐに使えない。水分を抜くために1年間寝かせなければ、火中に投じても燻ってしまう。腐った薪は、そもそも熱にならない。燃えることには燃えるが、見かけの割に部屋はちっとも温まらない。いい薪とは、十分なエネルギーを含有しているだけでなく、エネルギーを滞りなく放出できる状態にあるものをいう。そのために、季節を迎える前から、生木のうちに割られ、時間をかけて丁寧に保管される。

 

仕事のない日がつづいて、張り合いがない。有り余る燃料が、つまらぬ欲望ばかりを燃やし、言葉も思考も感情も、くすんだ色の煙を出して、地の底に堕ちていくようだ。魂は器を失い、かつての虚空をさまよう。亡霊の手が心臓に触れようとするのを、最後の意志が門番となって退ける。心臓だけはくれてやるものか。身を捧ぐほど研ぎ澄まされた魂、仕事によって洗われる魂は、その力を戻すとき心臓に足を着ける。

さあ、もう2日の辛抱。明後日には畑に戻ろう。

 

2024.9.12

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