足の怪我が長引いている。畑仕事はできぬし、森の整備も進まない。町のちいさな病院に通っているが、高齢の先生とのやり取りがおぼつかない。先生の奥さんは、我が子のようにとても良くしてくれる。近くの森に棲んでいる話をすると、(身なりからも金がないと思われたのだろう)料金をまけてくれたり、梨をくれたりするようになった。このご時世にそんな親身な病院があるとは思わなかった。完治したときには、何か礼をしなければ。
週に一回しか風呂に行かない話をすると、先生は私を説得するために武田信玄の話をした。武田信玄の軍隊が強かったのは、負傷した兵士たちを全員風呂にやっていたからだという。傷をよく洗い、清潔にしておくことで治りは早くなる。ほったらかしにして黴菌が入れば、傷は悪くなる。この話を聞いたとき、入念に傷口を洗ってくれる先生の処置は、深い哲学に支えられていたのではないかと思うようになった。
そういうわけで、今日は風呂屋にきて、丁寧に傷口を洗い、湯船につけた。明日も明後日も、まじめに風呂に行こう。一日でも早く前線に復帰するためにやれるべきことはすべてやる。素晴らしい青空の下で、ただじっとしているのはもどかしいが、その間は後方支援に徹しよう。あとは免疫力をあげるために、ちゃんとした生活をすることだろう。安静にすることと、怠けることは似ているようで違う。前者には力と積極性があり、後者には無力と消極性がある。静かなまま、行動を起こしつづけることこそ、生命を賦活する術である。
2024.9.9
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