玄米を食えぬ日がつづく。食の多様化によって、米を食わずとも容易に腹は満たせる時代だが、米しか食ってこなかった人間にとっては、米が食えなくなることは食を断たれることと同義である。苦しいが、苦しいときは、もっと苦しい境遇にいた人のことを思い出そう。戦中戦後は、米が満足に食えぬだけでなく、何もかもが食糧難で飢えの日々だった。米の代わりにイモを食べたとか、野菜の芯みたいな堅いものまで食べていたとも聞く。家族を失い、町も焼け、先の見えない暗闇のなかで飢えつづける心境はどれほどのものだろう。
武士は食わねど高楊枝。食えぬことで、真っ先にやられるのは心である。どうも米を食わないと力が出ないとか、これから先ずっと食えなかったらどうしようとか、腹が減る度に弱気なことを考えるようになる。だが、被害者になったら終わり。そんな臆病風は精神で跳ねのけるしかない。それが日本人の勇ましさが出してきた答えだ。
隆慶一郎の「死ぬことと見つけたり」という、葉隠武士の話に、正月なのに米が食えず、腹が減って思わず泣いてしまう妻に、「皆で腹を切るかね」と言い放った武士の場面がある。腹が減って泣くようなみっともない姿を晒すくらいなら、潔く皆で死ぬかねと言い放ったのである。もっとも、このあとには、「米ならそこら中にいくらでもあるわ」と立ち上がり、殿様に届けられるはずだった年貢米を襲い、大量の米をそのまま自宅に運ばせて、「さあ好きなだけ米を食え」と妻に言い放つ、葉隠らしい豪快な生き様を見せる。
おれたちは第一に、己の力を手放してはならない。本来、力の主であることを覚えていなければならない。心配せずとも米ならある。米が食いたいなら奪いにゆける。そもそも米がなくとも動じるまい。米がなければイモを食う。うどんだって蕎麦だって食えるものを好きなだけ食えばいい。米を一途に食ってきたからこそ、米がないことで挫けるわけにはゆかぬ。それが何よりの米への愛だ。米を慕い、田を慕い、日本の大地と血脈を思えばこそ、大して米を食わぬというのに米を買いあさる貧相な亡者に、屈するわけにはゆかぬのだ。
2024.8.30
コメントを残す